更新日:2014年9月5日

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武田氏館跡発掘調査

武田時代の土橋石積み

武田時代の土橋石積み

館の正面玄関である主郭部大手土橋の最新調査で発見された古い時代の大手土橋を支えた石積みです。石の積み方や大きさも統一性がなく、技術的にも戦国時代終わりの城館でみられるものと比べて劣るものですが、技術の未発達であった当時としては威信をかけて築いた橋であったと考えられます。

橋の南側には堀も確認されたことから、初期の館は現在のちょうど半分くらいの土塁と堀であったと考えられ、この発見によって、武田氏館の研究は大きく変わろうとしています。

土器捨て場

土器捨て場

土器(かわらけ)がまとまって捨てられていました。土器のお皿は現代に例えると紙コップと同じ役割で、戦国時代には特別な宴席や様々な儀式に欠かせない器でした。

土器捨て場が見つかるということは、その周辺が特別な場所であったということの証明になります。

大手石塁

大手石塁

武田氏が滅んだ後に築かれた石塁。館の正面玄関に立ち塞がり、外敵の侵入を拒むことを目的に築かれたと考えられます。

西曲輪門跡及び石積み

西曲輪門跡及び石積み

西曲輪は天文20年(1551)年に信玄の息子義信と今川氏の娘との婚礼に伴って造成された義信の館でした。義信の死後は、どのような施設が存在したのか謎に包まれていますが、今でも南北に枡形虎口(ますがたこぐち)と呼ばれる形態の出入口が存在します。

通路脇には門の脇を固めていた石が積まれていますが、それよりも古い時代の門跡の礎石も調査によって確認されました。一番下方に石列とともに等間隔に3つの石がありますが、それが門の基礎となった礎石です。

主郭部南側土塁断面

主郭部南側土塁断面

現在武田神社の参道として利用されている南側の出入口は、大正時代まで土塁と呼ばれる館を守る土手が続いていた場所でした。平成10年度に参道の石垣修理の際に断面の確認作業を行ったところ、現在残されている土塁の内側から一回り小さな堀と土塁が確認されました。

最新の主郭部大手土橋の調査によって、小規模な堀と土塁が武田信虎、信玄時代までさかのぼる可能性が浮上しました。

惣堀階段

惣堀階段

武田氏館跡東側の外郭部の堀に架かる土橋内側から、4段の階段が発見されました。戦国時代の武者たちも歩いた階段です。

この発見によって、戦国時代の終わり頃には鍛冶小路と呼ばれる古い道路がメインストリートとなっていたことが考えられるようになりました。

天守階段

天守階段

天守台上部の調査によって階段の全体が姿を現した際の写真です。この階段を上ると建物が存在したと考えられる最上部にたどり着きます。

主郭部庭園立石

主郭部庭園立石

主郭部とは城館の中心的な場所を指す用語ですが、平成8年度に行われた武田氏館跡主郭部の調査からは庭園が発見されています。

戦国時代には庭園も家臣や来賓を迎える際の家の格式や権威を象徴する装置として用いられていたと考えられています。武田氏館で確認された庭園は写真にある立石と合わせて南側に白と青の玉砂利が敷かれた池をもつ立派な庭園であったと想定されます。

天守台

天守台

天守台は、築造年代・築造者などほとんど不明で、技術的に武田氏が滅亡した後に築かれたものであることのみ明らかとなっています。武田氏館跡の北西隅の土塁を利用して築かれていますが、現在は武田神社の裏側にありますので普段は入ることができません。

平成14年度の調査によって上面の一部の発掘調査と石垣の測量調査が行われました。

 

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〒400-8585 甲府市丸の内一丁目18番1号(本庁舎9階)

電話番号:055-223-7324

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