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◆ ◆ ◆ 12月号 ◆ ◆ ◆ |
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古代からのいろんな歴史がいっぱいつまった川田町。
行く先々で偶然出会った近所の方が
その由来や歴史の話をしてくれたり、
今月も楽しいまち歩きになりました。
それでは、石和町との境、甲運橋から出発! |
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明治40年の大水害までは笛吹川だった平等川。 |

1 甲運橋近くに甲州街道の道しるべがあります。よく見ると、江戸という文字が東京に彫り直されています。
ここから身延、神奈川、埼玉の3方面へ行くことができたうえ、石和宿があり、水運も発達していたので、この辺りは交通の要衝でした。 |

2 二宮神社は、平安時代の文献に登場する「大井俣神社」と推定される歴史ある神社。『甲斐国志』では「本村(川田)及び和戸・桜井・三村用水の渠口に大井俣の地名あり。或は三俣とも云ふ」と記述が。その記述通り、近くには「三俣」と呼ばれる分水点があるんです! |
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3 二宮神社の境内とその東側一帯には川田館がありました。堀(現在は水路)に囲まれた、やや小高い場所にあり、躑躅ヶ崎館に移る前の武田信虎の本拠地でした。
川田に館がつくられたのは@東側に笛吹川があり防御しやすかったA交通の要衝だったB灌漑用水をおさえることで地域の人びとを支配下にできた、などの理由が考えられます。
今でも御所曲輪や御厩屋敷(おうまやしき)などの地名が伝えられています。 |

4 「三俣」と呼ばれている分水点。館跡近くにあり、この水が川田・和戸・桜井の3村の田畑を潤しました。 |

5 寿徳院には、東京の増上寺にある6代将軍徳川家宣の墓所に全国の大名が寄進したという、大きな石灯ろうがあります。 |

6 甲運小学校の西側一帯は笛吹川の水害をまぬがれ、古代の「条里制」による直線的な道路が見られます。何気ない道にも古代の名残り。 |
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7 7世紀後半から9世紀初めごろ、甲斐国最古の寺院・寺本廃寺(てらもとはいじ・春日居町)、甲斐国分寺(一宮町)の瓦を焼いていた「川田瓦窯跡(がようせき)」。県内で2番目に古い瓦窯跡です。この辺りは良質の粘土に恵まれ、北側の大蔵経寺山一帯の木々を燃料にしていたようです。
布目の文様のついた瓦のかけらを、現在も拾うことができるんですよ! |
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瓦のかけらは石と見間違えるほどの大きさ。厚さは約1cm。 |
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