更新日:2023年1月12日

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武田氏館跡(たけだしやかたあと)

国史跡である武田氏館跡は、永正16年(1519)に武田信虎が築いた武田氏の本拠で、一般には「躑躅が崎館」(つつじがさきのやかた)の呼び名で親しまれています。大正8年(1919)に武田神社が創建された場所は、信虎、信玄、勝頼の武田氏三代が居住し、政務を執り行った館の中心でした。
その西隣には天文20年(1551)に信玄の嫡男である義信の館として築かれた西曲輪があり、北側には食糧庫とされる味噌曲輪や大井夫人の隠居所と伝わる御隠居曲輪などの関連施設があり、それらは館の中心を囲むように並んでいます。
武田氏館は、勝頼が新府城へ移転する際に一時破却されましたが、武田氏滅亡後に甲斐国の統治拠点として織田・徳川・豊臣氏の家臣団によって再利用されました。
天守台の高石垣などは、その時代に築かれた構造物であるため、甲府城築城が一応の完成を見るまで使用されたと考えられます。

  • 区分…国指定文化財(史跡)
  • 指定日…昭和13年5月30日
  • 場所…古府中町

 

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