更新日:2013年8月20日

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絹本著色(けんぽんちゃくしょく)武田信虎夫人像

戦国時代の女性の名前は、記録に出てくることがほとんどありません。
また、本来の名前も多くの場合わかっていません。
このため、生家の苗字を冠して、○○夫人とか○○御寮人と呼ばれ、区別されています。

武田信虎の正妻は、西郡(にしごおり)の豪族大井信達(のぶさと)の娘であったため、通称大井夫人と呼ばれています。
夫人の子どもには、信玄、信繁、信廉(のぶかど)や今川義元夫人などがいます。
信虎が信玄によって駿河に追放されてしまった後は、髪を切って仏門に入り、躑躅(つつじ)が崎館の北郭(きたぐるわ)に住んでいたことから、お北様とも呼ばれていました。

この武田信虎夫人像は、天文22(1553)年の夫人の一周忌に際して、実子の逍遙軒(しょうようけん)信廉によって描かれた母の供養像です。
頭巾をかぶり、法衣をまとった尼僧の姿を描いたもので、慈母の優しく気品のある様子が丁寧に描かれています。

画中には最上段に夫人が詠んだ和歌が載せられ、上の句「春は花秋は紅葉のいろいろも」と、下の句「日かずつもりて散らばそのまま」が色紙型二葉に記されています。その下には、大泉寺住職安之玄穏(あんしげんおん)の賛があり、「信廉公自描慈母之容顔」と書かれ、信廉が母の生前の姿を描いたことがわかります。

信廉は画家としての才能を発揮し、30点余りの作品を残していますが、中でもこの画像は今に残る最も古い作品です。
以後、父・信虎や教えを受けた僧侶の肖像画のほか、高野山に奉納された仏画や兄・信玄の鎧(よろい)不動の図も描いており、戦国時代を代表する武人画家です。

  • 区分…国指定文化財(絵画)
  • 指定年月日…明治38年4月4日
  • 場所…長禅寺(愛宕町208)

 

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