更新日:2014年8月19日

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絹本(けんぽん)紺地金泥(きんでい)阿弥陀三尊像

尊躰(たい)寺に伝わるこの画像は、高麗末期に近い14世紀ごろに、朝鮮半島で制作されたもので、紺地の絹に肉身を金泥で彩色された阿弥陀如来を中央に描き、観音菩薩(ぼさつ)と勢至菩薩の両脇侍(きょうじ)菩薩を前方に配置する構図になっています。
寺の伝承では、唐の時代に則天武后の病気平癒のため善導大師に描かせたものを、鎌倉時代に蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が日本に請来して、京都の御所から石清水八幡宮(はちまんぐう)を経て、武田家に伝わったとされています。武田信虎が難病にかかったときに、この像を館の中にまつり、祈念したところ、たちどころに全快したことにより、尊躰寺を開創したと伝えられています。
徳川家康が甲斐に入国したとき、この寺を宿陣としたのも、この本尊の霊験あらたかなことを耳にしたためだといわれています。

尊躰寺は、武田信虎が大永元(1521)年に弁誉上人を招いて、阿弥陀如来画像を本尊とし、元柳町(現在の武田3丁目)に開いたお寺です。
その後、甲府城築城に伴って、現在地(城東1丁目)に移転し、甲府浄土五ヵ寺の一つに数えられてきました。

絹本紺地金泥阿弥陀三尊像
画像:絹本紺地金泥阿弥陀三尊像

  • 区分…市指定文化財(絵画)
  • 指定年月日…平成9年11月27日
  • 場所…尊躰寺

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