更新日:2016年8月29日

ここから本文です。

甲府上水

江戸時代、甲府の城下町の飲用・生活用・防火用に使用した上水道のことを「甲府上水」と呼んでいました。甲府上水は、甲府城主浅野氏の時代(1592~1600年)に整備されたと言われ、江戸の神田上水(1590年建設)とともに、全国的に見ても非常に古く歴史のある、城下町の上水道です。

当初の甲府の城下町は、飲用などに適する水を安定して確保するのが難しかったようです。そのため、以前からあった荒川・相川を水源とする灌漑(かんがい)用水を改修して、上水道として利用しました。荒川の山宮取入口(山宮町)から湯川を経由する用水と、荒川から陣場堰(せぎ)(富士見2丁目)を通じて運ばれる灌漑用水からなり、この2つの水を相川と合流させて水量を増やし、相川大口(宝1丁目)から城下町まで水を引き入れていました。

甲府上水1
画像:舞鶴小学校の東側に残る甲府上水の跡

 

城下町に入ると多くは石蓋(ぶた)をのせた石垣の水路でしたが、場所によって、堀の上を渡す掛樋、土の中を流す埋樋(うめどい)などが用いられていました。セメントがない当時、石樋(せきひ)は継ぎ目に漏水も多く、部分的な修理に不都合だったので、樋は木材が多く用いられていました。

甲府上水2
画像:当時、使用していた箱型の木樋(幅約20cm)。市歴史公園に展示しています。

 

甲府上水は、町の用水と農業用水との兼用だったため、渇水期には水をめぐって、都市部と農村部で争いが起こったこともありました。町用に使うか、農業に使うか、水の使用時間を決める“時水制”で水争いを解決したそうです。

また、甲府のまちには昔、良質な水を桶(おけ)に入れて売り歩く“水売り屋”と呼ばれる商人もいたそうです。

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?
このページの情報は見つけやすかったですか?
このページの情報はわかりやすかったですか?

ページの先頭へ戻る