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更新日:2016年8月29日

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信玄にも関係が!?金の粒が付着した土器

2008年にJR甲府駅北口の区画整理事業に伴って行われた発掘調査で、武田信玄が活躍した戦国時代の、金の粒が付着した土器32点が出土しました。

以前に発掘調査を行った古府中町や大手などからも出土していたことがわかり、当時、城下町だった場所のうち7地点から合計58点の、金の粒が付着した土器が見つかったのです。

これらの土器や金の粒には高熱を受けた跡があることなどから、この土器は金を溶かす道具として使われていたことがわかりました。

これにより、武田氏の時代、躑躅(つつじ)ヶ崎館の付近に、湯之奥金山(身延町)や黒川金山(甲州市)などで掘り出された金を装飾品などに加工する工房が存在していたこと、また、金が戦国最強といわれた武田氏の経済の基盤になっていたことなどが考えられます。

戦国時代の城下町から金が付着した土器が見つかったのは石川県七尾市(3点出土)に次いで全国で2例目で、このように大量に出土したのは初めてのことです。

金の粒が付着した土器片
画像:金の粒が付着した土器片

拡大写真。粒の大きさは約1mm
画像:拡大写真。粒の大きさは約1mm

甲州金の紹介

武田信玄といえば、多くの金山を抱えていたことで有名です。
武田氏が鋳造し、江戸時代の甲斐国でも使用された貨幣「甲州金」について紹介しましょう。

甲州金はやわらかいため、削り取られたり、偽造されないように、金貨の周囲に太鼓の鋲(びょう)を模した模様をつけたことから、「太鼓判」という言葉の意味になったといわれています。

信玄が用いた甲州金の貨幣制度の「1両=4分=16朱=64糸目」は、徳川家康が継承し、江戸時代終わりまで使われました。「金に糸目をつけない」の語源はこの貨幣単位だという説もあります。

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