「人は城」の国づくり 軍旗「風林火山」の戦略
戦◎信玄が自立し国主となったのは天文十年(一五四一)、二十一歳のとき。幼名は勝千代、仮名は太郎、元服して晴信。やがて出家して信玄とあらためる。

◎信玄の「国づくり」の理念は「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵なり」で、国全体が城であり、人の和こそ、まさに山河の険しさに匹敵すると信じた。事実、生涯を通じ、敵に甲斐の地を一歩なりとも踏ませることはなかった。

◎武田軍の陣頭には、常に「風林火山」の軍旗が立てられた。中国の孫子の兵法で「はやきこと風のごとく・しずかなること林のごとく・しんりゃくすること火のごとく・うごかざること山のごとし」の意。信玄の生涯にわたる合戦の数は、百三十余度という。まさに戦国のまっただ中だった。 川中島大合戦之図(南アルプス市立白根桃源美術館所蔵 川中島大合戦之図(南アルプス市立白根桃源美術館所蔵)
甲陽軍鑑攻戦地理図(武田神社所蔵) 甲陽軍鑑攻戦地理図(武田神社所蔵)
陣中食 ほうとう ころ柿 煮貝 陣中食 ほうとう ころ柿 煮貝
信玄の「陣中食」といわれる「ほうとう」は、味噌で味付けした汁に麺と野菜をともに煮込む。「煮貝」は煮アワビの醤油漬け。

軍配(恵林寺所蔵) 采配(武田神社所蔵) 軍扇(武田神社所蔵) 軍配(恵林寺所蔵) 采配(武田神社所蔵) 軍扇(武田神社所蔵)
信玄愛用の軍配。日の丸に毘沙門天の梵字が描かれ、信仰性が高い。
孫子の旗(雲峰寺所蔵)孫子の旗(雲峰寺所蔵) 甲陽軍鑑(南アルプス市立白根桃源美術館所蔵)甲陽軍鑑(南アルプス市立白根桃源美術館所蔵)