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更新日:2017年9月28日

武田信虎

武田信虎像

武田信虎には暴君のイメージがありますが、有力土豪層が割拠して乱国となっていた甲斐を統一し、甲府の城下町を開創するなど画期的な政策を推し進め、戦国大名・武田氏の基盤を築いた人物として、最近では高い評価が与えられています。

信虎が相川扇状地のつつじが崎に館を造営し、本拠地を移転したのは永正16年のことで、時を同じくして有力土豪層の城下集住策を進め、城下町の東西出入口部には市場を設けて物資の流通を確保しました。たくさんの寺社も創建されています。

整然とした都市プランをもつ城下町の建設は、それまでの甲斐国内ではなかったことで、この時期に信虎の飛躍的な勢力伸張があったものと推定されています。

甲府開創直後にも土豪層の反抗があり、この時点で信虎の一円支配が確立していたとは考えられませんが、甲斐の中心に位置し、甲府盆地一帯を眺望できるつつじが崎への本拠地移転には、自己の政権を不動のものとし、北条・今川氏などの国外諸勢力に対抗しようとする戦国大名・武田信虎の強固な姿勢が読み取られるのです。

略年表

1494年

信虎が誕生

1507年

信虎が武田家を継ぎ、甲斐国主となる

1519年

信虎が相川扇状地のつつじが崎に新館を造営し、家臣や商・職人の集住を図って城下町甲府を開創する
館の周辺には八幡宮・御崎明神が創建される

1520年

つつじが崎の館北方の積翠寺丸山に要害城が築かれる

1521年

信虎が甲斐に侵攻した駿河福島勢を甲府近郊の飯田河原に破る
信虎の菩提寺・大泉寺が創建される

1523年

甲府城下町西側入口に湯村山城築城

1524年

信虎が相模国津久井郡に出兵し、北条勢と合戦
甲府城下町南端の一条小山(現・甲府城跡)に砦が築かれる

1525年

猿楽衆が甲府に招かれ、連日、能楽が催される

1526年

信虎が富士北麓で北条氏綱と戦い、大勝

1531年

信虎が離反した今川・大井・栗原氏などを掃討

1535年

信虎が今川・北条両氏と交戦

1538年

信虎が冷泉為和らをつつじが崎の館に招き、和歌の会を開く

1541年

信虎が駿河に退隠される

1574年

信虎が高遠で病死。大泉寺で葬儀が行われる

関連項目