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更新日:2014年9月28日

中道往還

甲斐と駿河を結ぶ古代からの道のことで、甲府と吉原間(静岡)を約20里(約78km)の最短距離で結んでいました。同じく、甲斐と駿河を結ぶ古道の河内路と若彦路の中間に位置することから「中道」往還と呼ばれ、地区名の由来にもなっています。中世になると、軍用道としても活用され、江戸時代には人や馬による魚や塩の輸送路となり「魚の道」「塩の道」とも呼ばれました。

右左口宿(うばぐちじゅく)

右左口宿(うばぐちじゅく)の画像

中道往還の宿場町の1つ。織田信長が往来するため、徳川家康が整備したといわれています。道幅は4.5m、一軒の間口を四間二尺(約7.8m)に分け、奥行きの長い宿場独特の区画で整備されています。
天正10(1582)年、武田氏滅亡後に徳川家康が中道往還を通り、甲斐に入国しました。家康が右左口宿に着陣した際に、右左口の村民から手厚いもてなしを受けたことから、右左口の村民に関所の通行を許し、海産物の売買を免税する朱印状を発行し、商業活動を許可する特権を与えました。
今も当時の宿場町の雰囲気が残っています。徳川家康にまつわる場所、歌人、山崎方代の生家跡や直筆の歌碑など、たくさんの見どころがあります。

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中道往還案内図

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