背景写真:昭和20年、甲府空襲で焦土と化した市中心街/戦後、運行を再開した山梨交通電車(ボロ電)/昭和32年、富士川小学校で遊ぶ子どもたち/現在の甲府駅前
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甲府市の概要

甲府盆地  甲府市は、山梨県のほぼ中央に位置しています。市域は東西15.3km、南北41.5km、面積は212.41km2で、人口は198,581人(平成21年9月1日現在)です。

 四方を秩父多摩甲斐・南アルプス・富士箱根伊豆の各国立公園に囲まれていて、市内からは北に八ヶ岳、南に富士山、西にアルプス連峰を望みます。
 市北部にある渓谷美日本一の折り紙付きの「御岳昇仙峡」をはじめ、山岳地帯の四季折々の自然の美しさは甲府の自慢の一つです。

 都市としての発生は、永正16(1519)年、武田信玄の父・信虎が躑躅ヶ崎(つつじがさき)に居館を築き(現在の武田神社)、城下町が成立したことに始まります。
 武田氏の滅亡後、新たに甲府城が築かれ(現在の舞鶴城公園)、城下町はその周辺に移りました。

 江戸時代には、甲州街道の宿駅、周辺農村の商業中心地として賑わい、明治から昭和初期にかけては中部養蚕地域の中心地として、甲州生糸産地として栄えました。
 また、山梨水晶として知られる研磨業は、天保年間(1830〜44)のころから始まる古い歴史をもち、「宝石の街・甲府」と呼ばれる所以となっています。

 昭和20年には空襲により、焼け野原と化しましたが、昭和30年以降、めざましい発展をとげ、現在に至っています。

 甲府・湯村・積翠寺温泉、武田氏ゆかりの古社寺や文化財の豊富な寺社、全国でも貴重な数多くの古墳、自然豊かな御岳昇仙峡や芦川渓谷、観光ぶどう園など、観光都市・甲府ならではの見どころや魅力がたくさんあります。
甲府市の位置



地名「甲府」の由来
 「甲府」とは、「甲斐の府中」の略称です。
 永正16(1519)年、武田信虎(信玄の父)は、躑躅ヶ崎(つつじがさき)に館を移して(現在の武田神社)、その周辺に城下町をつくりました。
 これが「甲府」のまちの始まりで、武田氏領国の首都、政治・経済の中心地として発展。甲斐府中(甲府)は、全国的に見ても、戦国期の城下町としてはかなり雄大な規模と計画性をもった都市でした。
 「甲府」の名は開府直後から使用され、江戸時代以降、正式名として定着しました。



甲府市の市章(市旗)
甲府市の市章(市旗)  割菱は武田氏の家紋をとり、亀甲は「甲」の字の象形文字と市の長寿を意味します。
 また、亀甲の頭尾四肢を内側に伸ばして連接すると、「本」の字となり「府は本なり」と言われることから、甲府の「府」を意味します。
 割菱の色は甲府の特産であるぶどうの色、そして白地は平和を表現しています。
(明治39年10月制定)



甲府市の木・花・鳥
甲府市の木・かし 市の木・かし

 かしは、ぶな科の常緑高木で甲府に数多く自生しています。材質はとても堅く、樹形は天に向かい雄大に伸びます。空に向かって伸びる樹形は市の将来を象徴するのにふさわしいと選ばれました。
(昭和46年8月指定)
甲府市の花・ナデシコ 市の花・ナデシコ

 ナデシコは世界に広く分布し、とても育てやすい花です。甲府の暑さや寒さにも耐えて咲くたくましさ、美しさは甲府を象徴するのにふさわしいと選ばれました。
(昭和37年1月指定)
甲府市の鳥・かわせみ 市の鳥・かわせみ

 川の土手や水辺にすむ留鳥(死ぬまでうまれた土地を離れない野鳥)で、背羽根の美しさから「飛ぶ宝石」とも言われます。「宝石の街・甲府」に1番ふさわしいと選ばれました。
(昭和59年8月指定)
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