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8月号~甲府空襲から学ぶ、私たちのまち~

から72年前の7月6日午後11時47分。天気はくもり。甲府のまちは、真っ赤な火の海となりました。131機(出撃機数は139機)の米軍B29の戦闘機(爆撃機)が、約2時間にわたり1万409発、970.4トンの爆弾(焼夷弾)を甲府のまちに容赦なく落としたのです。被害面積は、全市の74%にもおよびました。この空襲を甲府空襲といいますが、七夕の節句だったこともあり、「たなばた空襲」ともいわれています。このとき市民は上から降り注ぐ爆弾を、七夕の夜空を、どんな気持ちで見上げていたのでしょうか…。とても胸が痛くなりますが、私たちの住む甲府で起こった悲しい事実なのです。今回は、甲府空襲について学ぶため、「山梨平和ミュージアム」にお邪魔しました。

ミュージアムに一歩足を踏み入れると別世界

 甲府空襲での犠牲者名簿
▲甲府空襲での犠牲者名簿

 塩部で発見された焼夷弾
▲塩部で発見された焼夷弾

のミュージアムは市民や著名な方など多くの方からの寄附金により、2007年5月に開館し、今年で10年を迎えます。ミュージアムに一歩足を踏み入れると、そこには別世界が広がっていました。市民から寄せられた戦時中の実物資料の数々。本物の召集令状(赤紙)や焼夷弾。そのほかにも、甲府空襲を体験した方々のたいへん貴重な資料を見ることができます。資料を間近で見ると、時間の経過や体験した方々の思いを強く受け、改めて、甲府で起こった悲惨な現実を突きつけられました。「甲府空襲では防空壕の中で亡くなった方が多い。子どもやお年寄りなど、逃げることができずに避難していた多くの方の命が奪われてしまった」と山梨平和ミュージアムの浅川理事長は話します。甲府空襲で犠牲になられた1127人の名簿を拝見すると、悲しみや怒り、さまざまな気持ちが込み上げてきます。このように、ミュージアムではボランティアの方々からお話を聞き、展示物を見て、甲府空襲の恐ろしさを学ぶことができます。

浅川保理事長
▲浅川 保理事長

未来の平和へと繋げていくことが大切

事長からは「二度と同じ悲しみが起こらないよう、戦争の恐ろしさと愚かさを学び、次の世代へ伝えていくことが、未来へ、そのまた未来へと繋がっていく」と、教えていただきました。私たちは、悲しい過去に目を背けがちですが、空襲・戦争を経験したことがない世代の方々にも、一度は訪れていただきたい場所です。ミュージアムへ来て皆さんが過去と向き合い、今ある平和な暮らしも当たり前ではないことを改めて理解し、未来の平和へと繋げていくことが大切だと感じました。

戦争に関する多くの資料
▲戦争に関する多くの資料

被害の大きかった湯田地区

田地区は、甲府空襲で被害の大きかった地区のひとつです。当時の湯田小学校は焼けてなくなってしまいましたが、正門は今でも、その時のままの姿で残っています。実際に見て触れてみると、そこだけ時が止まっているような不思議な感じがしました。周りが焼け野原だったころから今に至るまでの長い年月を、この正門は見てきたのだと考えると、感慨深いものがあります。

湯田小学校にある旧正門

湯田小学校にある旧正門2

▲湯田小学校にある旧正門

山梨平和ミュージアム山梨平和ミュージアム

住所 朝気1-1-30
料金 大人300円、中高生200円、小学生以下無料
開館時間 午後0時30分~5時
休館日 火・水曜日、祝日、12月28日~1月6日
電話番号 (235)5659

今月の市民レポーター/神尾利奈子

空襲や戦争を経験した方は高齢になり、当時の話を聞く機会は減っています。だからこそ、空襲や戦争の恐ろしさを昔の話や遠い国の話にせずに、伝えていかなければなりません。過去に起こった悲しい事実を、私たち若い世代が忘れずに生きていかなければいけないのだと、感じさせてくれる取材でした。

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