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2021年7月号・ろう者が見た甲府空襲~76年前の7月6日、甲府のまちが火の海になった~

2107-1終戦から76年。戦争を体験した人から話を聴く機会は減り、特にろう者の戦争体験はあまり聴いたことがありません。今回、甲府空襲を体験したろう者の武田陽子(たけだようこ)さん(88)に、当時のようすを伺いました。

(写真)武田さん(右)。武田さんは昭和8年生まれ。岩窪町在住。12歳のときに甲府空襲を経験。取材はお姉さん(左)にも同席いただきました 

 

身体に響き渡るほどの爆撃音

2107-27月6日の夜、武田さんは隣で寝ていたお姉さんに起こされ、家の裏にある防空壕へ避難したそう。武田さんたちが住む岩窪町の上空をおびただしい数のB-29が飛んでいき、甲府の中心部に次々と爆弾を落としていきました。爆撃音は、武田さんの身体にも響き渡るほどだったそうです。

武田さんの家は戦火から逃れたものの、甲府の中心部を見てみるとまちは赤く轟々(ごうごう)と燃えていました。「2時間ほどの時間が長く感じ、とても怖かった。でも徐々に桃色に変わり、何ともいえないくらいきれいでもあった」と振り返る武田さん。中心部に住む友人は、川の中や橋の下に隠れ難を逃れたそうです。

(写真)空襲焼跡。岡島百貨店の外観

終戦日“もう怖い思いはしなくていい”

武田さんいわく、一番大変だったのは空襲が終わった後。食料は配給制で、わずかな食べ物で空腹をしのいだそうです。8月15日、親戚に呼ばれ家族と一緒に近くの広場へ行くと、真ん中にラジオが置いてありました。武田さんは親戚に「戦争に負けた」と筆談で教え

てもらったそうです。「負けたというより、“やっと終わった。もう怖い思いはしなくて済む”と心からホッとした」という武田さんとお姉さんの表情が印象的でした。

甲府空襲

1945(昭和20)年7月6日の深夜~7日未明にかけて、131機のアメリカ軍B-29爆撃機による甲府への爆撃があった。市内は火の海となり、市街地の約74%が焼失。負傷者1,239人、被害戸数1万8,094戸、1974(昭和49)年に行われた調査では死者1,127人とされている。

今月の市民レポーター/深澤朗子

2107-3私自身ろう者です。今のように情報保障(手話通訳者など)がない戦時中、どう過ごしていたのだろうと気になっていました。武田さんは周りの人の筆談によってどういう状況なのかある程度理解できていましたが、今のように十分な教育は受けられなかったため、自分の気持ちを伝えることなどは難しかったそうです。武田さんの話す手話はまさに映像のように見え、本当に怖さが伝わりました。同じろう者として、戦争の怖さ、戦争体験を風化させないために、次世代へ伝えていきたいと心から思います。

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