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更新日:2020年8月19日
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新たに府中(政治の中心地)を興すことを「開府」といいます。
武田信玄公の父、信虎公が躑躅(つつじ)が崎の地に館を構えました。それが1519年のことです。
「甲斐」国の「府中」である『甲府』の誕生は当時の文書にも記載されています。
※もっと詳しく知りたい方へ→→甲府年表(まんがでわかりやすく読めますよ!)
信虎公が建てた館が「躑躅が崎館」と呼ばれるのは、館の東側にある、ヤマツツジがたくさん咲くことから名づけられたといわれる尾根「躑躅ヶ崎」に由来しています。
大正時代に建立された武田神社の社殿がある一画に「主郭」と呼ばれる館の中心があり、信虎公・信玄公・勝頼公が当時生活していました。館は甲府盆地の北端、南流する相川扇状地上に位置し、東西を川に囲まれ、背に詰城である要害山城を配置した構造になっていました。
当初は「主郭」を中心に小規模な館でしたが、信虎公・信玄公・勝頼公の3代、約60年の間に増設され、戦国大名の館としては全国最大規模の大きさになりました。
【写真:大手門と躑躅が崎】
武田神社の境内から大手門に向かうと「躑躅が崎」の尾根が正面に見えます。
躑躅の豆知識
毎年5月初旬になると、さまざまな色で咲く躑躅。
花の名前なのに何でと疑問に思いませんか? 植物なのに「草かんむり」がありません。
「躑躅」は音読みするとテキチョク。「行ったり来たりする」「躊躇する」という意味の言葉です。その由来には、「あまりに美しい躑躅の花に見惚れ足を止めたから」「ツツジには毒があり、羊が食べるとふらふらするから」と、諸説あるようです。
「躑躅が崎」の地に、その名の通り躑躅が咲き誇っていた500年前、信虎公も信玄公も躑躅の花を見て戦国の世を生きていたのです。躑躅の古木は樹齢数百年になるそうです。こうふ開府の時代を見ていた躑躅が、今もどこかに咲いています。
【写真:武田神社境内に咲く躑躅(2017年5月)】
「甲府開府」より「こうふ開府」の方がやわらかく感じませんか?
甲府が誕生して500年の記念すべき年を、事務局は老若男女すべての人と一緒に祝っていきたいと考えています。そんな願いもこめて「こうふ開府500年」として活動しています。
あまり馴染みがなかった「開府」という言葉。多数の都市がそれぞれに節目としてお祝いしています。
あなたはいくつご存じでしたか?
2000-2003年:仙台開府400年 |
2010年:名古屋開府400年 |
2016年:千葉開府890年 |
2003年:江戸開府400年 |
2010年:山口開府650年 |
2019年:甲府開府500年 |
2007-2011年:松江開府400年 |
2014年:高田開府400年 |
2026年:千葉開府900年 |
※他にも築城や戦国武将生誕を祝う事業が各地で開催されています。
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