更新日:2019年6月13日

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その1 夢にみた江戸城

将軍に会いたい

甲府城下を仕切る町年寄は、格式にこだわる。その1つが江戸城に上がり、将軍にごあいさつを申し上げることであった。それは甲府徳川家の治世下では認められていたが、柳沢時代に取り止めとなっていた。
甲府勤番の時代に代ったところで、これをチャンスととらえたのだろうか、町年寄は江戸参府をたびたび願い出る。「年頭や将軍家の祝儀に、町年寄が城下町の代表として江戸城に上がることは、昔からの例(ためし)である。それが中絶したままだと甲斐国の威光に関わる。」しかし、願い先の勤番支配が交替やら何やらで一向に埒が明かない町年寄・坂田氏7代目の与一左衛門忠堯(ただあき)も、延享4年(1747)の就任以来、出願をくり返した。

夢みる与一左衛門

この与一左衛門忠堯 、自分がみた24の夢を書き留めた。題名はそのまんま「夢」。すべての夢ではないので、いわゆる夢日記ではない。フロイト流に自分の深層心理を探りたかったとも思えないが、また何で夢を記録する気になったのだろう。
最初は宝暦9年(1759)正月20日の夜の夢である。「空で万歳(年頭に家々を回り、祝儀を述べて舞う芸人)3人。1人は太鼓、1人は笛を吹く若衆、1人は鈴を振る女が面白く踊っていた。そして、白い雲に乗って東に飛んで行った」。要はめでたい夢(きちむ)だけを書き残したものか。と思いきや、「獄門にかけられた首を2つみて、おそろしかった」というような夢もある。 

夢の願望が現実に…

下の図は、記念誌(43ページ)『甲府歴史ものがたり』2-5「町役人の仕事と暮らし」に載る図と同じである(山梨県立博物館所蔵「夢」)。この夢(安永3年[1774]7月29日の夜)について、もう少し詳しく述べておこう。
「東の方に火事であろうか、煙が立っている。しずまると東の空に長さ30cmほどの白い顔(図)がくるくると回り、だんだんと自分に近づいてきた。まことにありがたいことなので、大願成就と三拝した」。図のような巨顔が迫ってきたら怖いと思うのだが、江戸参府という「大願」がある忠堯にとっては、これも祥(きちじょう)なのであろう。
実際に、江戸城に上がった夢も見ている。江戸城の大きな御殿に通されて、ご飯と卵が入った汁だけご馳走になったり、高い所に登って門や塀を眺めたりと…。挙句の果てには駿府城にも上がって、幕に縫いつけられた鶴の絵が、そのまま抜け出して、そこらを歩いたりしているのをみている。
夢にまでみた町年寄の江戸参府は、安永6年年頭に実現する。しかし、その年4月、忠堯は突如、町年寄を引退する。甲府勤番支配に呼び出されて、町年寄の役儀を取上げられて、隠居を命じられたという。現実世界の忠堯に何が起ったのであろうか。

「夢」(山梨県立博物館蔵)(「夢」山梨県立博物館蔵)

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