更新日:2019年12月2日

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その11 洋食屋がナウい 

牛肉を食べよう 

記念誌『甲府歴史ものがたり』5-11「明治の食べもの新商売」では、明治になってからの、肉食のすすめや牛肉商売について書かれている。新政府は明治2年(1869)、東京に築地(つきじ)牛馬会社をつくり、牛肉の販売・普及に力を入れる。それは国民の「身体」を改善するという近代化政策の一環であった。そして、人びとは牛鍋やすき焼きを好むようになる(岡田哲『明治洋食事始め』)。
明治27年(1894)の「山梨繁昌(はんじょう)明細記」を見てみよう。これには県内のさまざまな店が、新聞の三行広告のような形で紹介されている。この当時、甲府桜町に牛肉店の中村屋、牛肉・料理の吹寄樓(ふきよせろう)、牛肉卸(おろし)小売商の桜花亭が店を構えていた。このうち、吹寄樓の主人は多門伝八郎なる人物である。この人、かつては甲府勤番士で、維新直後は甲府城を守る護衛隊に編入された。その後、どのような経緯で吹寄樓を開いたのかは分からない。ともかくも牛肉割烹(かっぽう)店として昭和初期まで営業していたらしく、それなりの「名店」だったのだろう。

衣替えする牛肉店

年号は分からないが、下連雀(れんじゃく)町の菊島茂平(牛肉渡世)と春日町の開化亭(牛肉煮売業)、この2つの料理屋の広告が残っている。4月下旬、そろそろ暑い気候になるため、牛肉料理はお休みするというものだ。そして、メニューの変更を知らせている。菊島はてんぷらとお茶漬け・すし・どじょう鍋・ちらし五目・肴(さかな)類、開化亭はご飯付き大蒲焼(かばやき)・丼めし・どじょう鍋・肴類といったところ。牛肉は鍋で冬場に食べるものと普通に思われていたのか、保存上の問題なのか、とにかく柔軟な料理屋の対応だ。オールシーズンの食文化を生きる現代より、街中の店さえも季節の移り変わりに敏感だったということか。

桜町の洋食屋

西洋料理の店が開業し始めた明治当初、人びとはナイフとフォークで口の中を血だらけにしたり、スープを皿から直接飲もうとして胸やひざに飛び散らしたりしたらしい。明治20年代になると、西洋風も十分「消化」できるようになったらしく、日本の食文化とミックスさせた「洋食」が広まる。先の「山梨繁昌明細記」には、桜町の長養亭(西洋料理・即席料理)と開峡樓(西洋料理・玉突)が紹介されている。
長養亭は明治16年(1883)開業、7品のコースがあった。ただし、1品ごとの「価格表」を掲示していると広告でうたっており、意外にリーズナブルなのが「売り」か。なお、経営者の渡辺弥吉は明治23年、太田町公園に甲府ホテル望仙閣を開業している。
開峡樓は大正7年(1918)当時、洋風の3階建で、内部は日本間と西洋間両方があった。メニューも和洋折衷(せっちゅう)だったが、特筆すべきは地下にビリヤード場があったことだ。甲府の若者にとっては、開峡樓で洋食を食べ、キューをあやつるのが「トレンディ」だったのかもしれない。

桜町通り

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