更新日:2019年12月2日

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その12 鑑札は大切に 

免税の商人たち

平成18年(2006)、中道町と上九一色村の北部が甲府市と合併した。甲府と駿河を結ぶ最短ルートの中道往還が通るこの地域には、江戸時代、広い商圏を持つ商人がいた。
時は武田が滅亡して、本能寺の変の後、天正10年(1582)の7月にさかのぼる。北条氏との対抗上、徳川家康は甲斐をおさえる必要があった。その時、中道往還から入国するのだが、右左口(うばぐち=甲府市右左口町)と九一色郷が家康一行のために大活躍した。右左口の人たちは、村役人をはじめとして、馬47頭と人足多数が、駿河の人穴(ひとあな)村(富士宮市)まで迎えに行き、荷物の運搬などで活躍する。中道往還は、現市域の古関(ふるせき)と右左口で阿難(あなん)坂・迦葉(かしょう)坂という難所を越える。この時、水量が増していた芦川の渡河に、古関の百姓が「大御用」を見事に勤めた。家康は右左口と九一色郷に「諸役免許」、つまり商売上の税の免除を公に保証する朱印状を下して、彼らの働きにこたえた。

鑑札の管理

家康の朱印状を右左口・九一色郷の人たちは最大限に利用する。どこの宿場でも馬を取り替えたり、通行税を払ったりすることを免除される特権を手に入れ、さまざまな荷物の輸送で稼ぐ。その朱印状の効力の証明になるものが鑑札である。
九一色郷では、寛永18年(1634)、地域の9か村を支配する渡辺囚獄佑(ひとやのすけ)の手に朱印状が渡り、引替えに642枚の鑑札が交付されたという。元禄15年(1702)以後は、支配の交代の度に鑑札を更新することになった。右左口では鑑札を馬札と言い、名主が管理して、希望者は借りて馬に付けるシステムだった。

消えた鑑札

鑑札は更新の時など、何度か数をチェックされる。九一色郷の1つ梯村(かけはしむら=甲府市梯町)では元禄15年に交付された60枚のうち3枚が火災で焼失、18世紀初頭の柳沢吉里の領知時代にも60枚が更新されたが、5枚が無くなっている。3枚は火災で焼け、1枚は持ち主が夜逃げしたため行方不明、1枚は駿河で川に流してしまったという。その後、上飯田代官亀田三郎兵衛の時には、世帯増加のため63枚が下されたが、2枚が甲府魚町の宿舎で焼失してしまった。
右左口では安永2年(1773)に馬札数の調査が行われ、所在不明の札が39枚にのぼった。また寛政11年(1799)には盗難にも遭う。この年6月、右左口のある百姓が桑商いのため馬札1枚を借りて、田中宿(どの街道の宿なのかは不明)に泊まった。たまたま寺尾村(笛吹市)の者2人・油川村(甲府市か笛吹市)の者1人と同宿になり、酒を飲んで盛りあがったらしい。そして馬札はいつのまにか盗まれたらしく影も形もなかった。この者は、右左口の村役人に1か月以内に見つけ出して村にもどさなければ鐚銭(びたせん)10貫文の罰金を約束させられる。現在の感覚だと10~40万円くらいだろうか。どんなに大切なものでも無くすときは無くす。これも人間がつむぐ歴史の1コマなのである。

中道往還「右左口宿」

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