更新日:2020年1月6日

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その13「女二人」は元祖リケ女?

女子の教育 

ものの本によれば、明治8年(1875)は男子の小学校就学率が50%を超えた年だという。しかし、女子は18.7%にすぎず、まだまだ教育面での男女格差は大きかった。
明治19年(1886)、政府は帝国学校令・師範学校令・中学校令・小学校令と一連の学校令を定め、日本の教育制度を整えた。同じ年、山梨県下の家塾・寺子屋の調査が行われた。その報告書は完全に正確というわけでもないが、当時の教育の一端を垣間見ることができる。甲府の町場に限ると、江戸時代後期から明治維新まで存続した11の家塾・寺子屋が数え上げられている。男女別の生徒数も出ており、調査した時期にバラつきがあるものの、すべて合わせると男子は1,052人、女子は753人となっている。男女比は3対2となり、この数字をどう解釈するか、だ。

女子が習うこと

甲府の町場の家塾・寺子屋では、ほとんどが「読書・習字・算術」を教えていた、つまりは「読み・書き・そろばん」である。さらに教科書で「四書」を使っているところも多い。「四書」とは、『礼記(らいき)』中の「大学」「中庸(ちゅうよう)」と『論語』『孟子(もうし)』である。生活する上で必要な学問のほか、「忠義」や「孝行」といった儒学の道徳も教えていたのである。
泉町(現丸の内・相生)の「汎愛義塾」では、入門時は男女ともに「平仮名」や「いろは」、「甲府町名」などを習うが、それ以上のレベルになると、男子は「商売往来」など、女子には「女子教訓」などのコースに分かれた。江戸時代の女子教育によく使われた「女今川」「女大学」も教科書にあげられている。女子は「夫によく仕えろ」といったことを、子どものころから教え込まれるのである。

数学塾の女子

鍛冶町には文化元年(1804)から「一二堂」という塾があった。ここは報告書に載る11の家塾・寺子屋の中では唯一の理系塾である。ここでは関流の算術を教えていた。関流とは、甲府徳川家に仕え、日本の数学・和算を大成した、関孝和(せきたかかず)の流れをくむ学派である。教科書は「算法通書」「量地図説」「地方(じかた)大成」「天元指南(てんげんしなん)」「点竄(てんざん)手引書」。ここでは天元術や点竄術も学べたということだ。天元術は、算木(さんぎ)やそろばんを使って一次方程式を解く方法。これを孝和が改良して、道具を使わずに高次方程式を解けるようにしたのが点竄術である。いずれにしても、日常の必要を超えていると思うが、「量地」「地方」は測量技術の本で、実務的な内容だ。「地方」は発行当初、専門知識の流出を嫌った幕府代官が絶版にさせたという。
明治4年(1871)当時、この塾には12人の生徒が学んでいた。標準の就学期間が約1年と非常に短く(他は6~7年)、やはり特殊な塾と思われたのだろう。ただ、生徒には「女二人」が含まれている。「女大学」がまだ当たり前の時期に、数学と土木工学の習熟を志した彼女たちは、甲府の「リケ女」のはしりかもしれない。

 

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