更新日:2020年2月14日

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その16 地産の魚を賞味する

甲斐の名物 

江戸から甲府の学問所・徽典館(きてんかん=山梨大学のルーツ)に赴任した宮本定正(さだあき)という学者先生は、嘉永3年(1850)、エッセイ集「甲斐の手振(てぶり)」を書いた。その中で、先生、「ジビエのほか、鮒(ふな)・鯰(なまず)・鰌(どじょう)・鮎(あゆ)を飽きるまで食べた」と告白している。さらに定正は、鰌と鯰を甲斐の名産と言い、荒川・笛吹川・釜無川の鮎は大きくて「絶品」と言う。また荒川の鮠(はや)を蚊針(かばり=擬餌針)で釣り、煮付け・酢の物・天ぷらにするとおいしいとしている。

江戸に聞こえた名物鮒

甲府城下の南東にあたる蓬沢村は、となりの西高橋村と同じく窪(くぼ)地であり、濁川の水がたびたび流れ込んで、湖のような状態になった。それは周囲1里余り(約4km)の大きさとなり、村びとは魚をとって生活の足しにしていたという。ところがここでとれた鮒は、江戸で「蓬沢鮒」のブランド名で知られるようになる。しかし、村びとは農耕地を開発する方向に動く。その願いにより領主(甲府徳川家)は治水工事を実施。堰(せき)をつくって、湖の水を抜いてしまった。約50年後には、かつての湖跡には少しばかりの池が残り、釣る気にもならない小さな鮒がいるだけとなった。しかし、鮒は他の場所にもいる。幕末の甲府城下でも堀や溝を普通に泳いでいたらしい。当然、食用となり、味噌汁にして飲むか酢に漬けて食べると下痢によいとされた。健康食だったのである。

VIPが愛した鮎

鮎は塩蔵の「黒漬」、または乾して縄に付けたものも賞味された。郡内地方の桂川産の「塩鮎」は、毎年8月、将軍へ献上された。また、江戸屋敷にいる甲府徳川家の殿さまも、たびたび甲府から「塩鮎」を取り寄せている。鮎は荒川・笛吹川・釜無川のものも悪くはなかったが、桂川の鮎はブランド力もあったようだ。甲府にも桂川産の鮎がたくさん入っている。とくに花咲(大月市)の鮎が最上級とされた。甲斐の鮎は鵜(う)を使って捕る方法もあったが、喜ばれたのは網で捕ったものだった。鮎に鵜が食いついた跡が残ると、そこから油が抜けておいしくなくなるらしい。

不思議な鰻(うなぎ)

現在、希少価値が上がっている鰻だが、幕末頃の甲府周辺ではそこいらに生息していた。甲府の鰻屋は仕入れにそれほど困らなかったのである。しかも、甲府産の鰻で「地前」と呼ばれたものは、身がしまっていて美味だった。甲府周辺から少し離れた所の鰻は味が劣る。しかし、信濃まで持って行って一晩、諏訪湖の水にひたせば「地前」と変わらない味になったらしい。水の成分とかが影響するのか?不思議である。
幕末の信立寺(しんりゅうじ・若松町)横にあった鰻屋は、江戸流の焼き方で客に出したという(つまり背開きにした蒲焼?)。しかし、どうやら鰻の「小串」なるメニューがあったらしく、それは頭を付けたまま焼いた。先生の定正も「これにはびっくりした」と感想をもらす。食文化は江戸流でありながら、甲府の個性もあったのである。

 

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