更新日:2020年3月11日

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その18 火事場に急行せよ!

発掘された「掛矢」 

魚町から出土した「掛矢」

平成30年(2018)、甲府城下町遺跡の魚町(うおまち=中央5丁目)地点で発掘調査が行われた。以前は池だったと思われる区画から、木でできた大きなトンカチの頭みたいなものが見つかった。これは「掛矢(かけや)」という木製のハンマーの一部である。この場所からは、炭化した材木も大量に出てきた。つまり、過去に火災があったことが分かる。掘り出された掛矢もおそらく火災に関係した道具であろう。江戸時代の甲府は、しばしば火災に見舞われている。万治3年(1660)、享保12年(1727)、享和3年(1803)には後世の語り草になるような大火があり、魚町にも大きな被害をもたらした。

火消道具あれこれ

火はいつの時代もコワいので、各時代、それなりに消防の対策が練られる。万治の大火以前の甲府では、町に火災が発生した場合、住民は手桶(ておけ)持参で現場に行き、消火に当たることが定められた。大火後、火消人足の出動が制度化され、はしご・釣瓶(つるべ)・円座(えんざ)・とび口・手桶・纏(まとい)といった火消道具を、町に割り当てられた人足がかついで火災現場に急行した。釣瓶で井戸水をくみ出し、手桶に入れてかけたのだろうか。円座はワラの座布団だが、あおって火勢をコントロールしたのかもしれない。この後も熊手や鎌やのこぎり、そして掛矢が火事場に持ち込まれる。
江戸時代の中期からは水鉄砲、後期にはポンプ式の竜吐水(りゅうどすい)もお目見えする。しかし、大量の水が必要になる「冷却消防」が主流になるのは明治以降である。それまでは火元の周りの建物を壊して燃え広がらないようにする「破壊消防」がごく普通の消火方法だった。水は燃えにくくするために屋根にかけるなどの補助手段だった。だから火消道具は破壊に適したものが使われ、家屋破壊のプロである「鳶(とび)」が火事場で重宝された。魚町の掛矢は破壊消防の時代を物語る歴史の証人なのだ。

屈強な火消人足

江戸時代の中ごろ、甲府にやって来た勤番士・野田成方(しげかた)は語る。
「火災が発生すると、一つの町から6~7人の火消人足が出る。彼らは横約45㎝・縦約150㎝のカゴに掛矢などの火消道具を持って駆けつける。以前、東青沼村(現青沼・朝気)の火災の折には、木村重右衛門や入舟惣八などといった者が大活躍して、勤番支配からご褒美をもらった。これ以前の火消人足には老人や15歳以下の少年もいたが、煙にむせんだり、火を恐がって近づけなかったりと役に立たなかった。今では「剛強」の者を人足に選んでいる。
木村重右衛門は、甲府在住の相撲行司である。木村を名乗っているので、おそらく江戸相撲の行司や年寄衆と関係を持ち、甲州の相撲取りに影響力があったのかもしれない。入舟惣八も多分、通り名だろう。任侠(にんきょう)の世界の住人かもしれない。纏の重さは一般的に15~20㎏前後と言われるが、それを振り回せる屈強な人足にとって、火事場は自分の男ぶりをアピールできる場でもあった。

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