更新日:2019年8月2日

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その4 夜の昇仙峡

遅塚麗水(ちづかれいすい)の昇仙峡紀行 

昇仙峡は、江戸時代から、すでに景勝地として知られていた。紀行文の大家として知られた遅塚麗水は、明治39年(1906)刊行の『ふところ硯(すずり)』に、昇仙峡の紀行を記している。
ある秋の日、麗水は午後1時半ごろ甲府に汽車で到着する。甲府城跡の堀のほとり「桃柳」という店で遅い昼食をとり、これから金桜神社まで行くつもりだ。店の主人からは、「今日は柳町あたりにでも泊まって、明日の朝早くに出たほうがよい」と勧められたが、麗水はあえて出発する。
徒歩で和田峠を越え、昇仙峡の入り口・天神平に着いたのは、もう夕暮れ時であった。茶屋の老夫婦は、夜の山は危険だと(もっともだ)宿泊を勧めるが、麗水は断固として出立するのである。

暗闇の渓谷 

麗水は、「旅情」を強く求めていた。夜の渓谷で、川の流れる音、山猿の声、煌々(こうこう)たる秋の月を友に、山の風情を飽きるまで楽しむつもりだったのである。
日はとっぷりと暮れるが、麗水は進む。風は寒く、吹かれる落ち葉が顔を打つ。紅葉が美しい時期なのに、落ち葉の色さえ暗くてよく見えない。そして、やはりというか道に迷う。天神平の老夫婦の正しさを悔いるが、今さらどうにもならず、先へ進むしかなくなる。月はよく輝いていたが、道が曲がりくねっているため、少し蔭になっている所は漆黒の闇である。暗中模索で落ち葉をかき集めてはマッチで火を着け10歩ぐらい進み、そのくり返し。落ち葉も見つからなくなると、こうもり傘を燃やして松明(たいまつ)代わりにした。

心温まる?ふれあい

坂を上がると、ようやく建物の灯りがみえた。そこは能泉(のうせん)小学校、1人の少年が応対に出た。麗水が「このあたりに旅館は?」と聞くと「ない、他に人家もない」との答え。麗水が一夜の宿を頼んでも頭を振り、扉を閉めて帰ってしまった。仕方なく、麗水は再び歩き始めた。だが、さすがに疲れたらしく、石門で草を敷いて野宿を試みるも、寒すぎて挫折、重い足を引きずり、また歩く。しばらく行くと馬蹄の音が聞こえ、幼子を背負った木こりに出会う。麗水は天の助けと、神社前までの案内を乞うが、この木こりはかなり酒に酔ってごきげんである。しかも労賃の多少によっては旅館まで案内してもよい、と言い出した。そこに登場したのが、木こりの妻。夫をたしなめ、麗水を自宅まで案内し、お茶でもてなした。家には青年といってよい年長の子どももいて、麗水はその青年に連れられて、神社前の旅館「松田屋」に到着、ちょうど午後9時だった。

それでも絶賛 

翌朝、金桜神社を参拝した麗水は、朝食後、午前8時に宿を発った。昨夜、散々な目に遭わせてくれた昇仙峡は、うってかわってその絶景でもてなしてくれた。天神平の老夫婦に無事な顔を見せ、和田峠を下り、甲府の牛肉屋で精を取り戻した。
夜の渓谷を徒歩で行くという、現在でも恐いとしか言いようがないことをした麗水。こうもり傘を燃やして杖(つえ)のようにしてしまった麗水。しかし、昇仙峡の「秀麗(しゅうれい)」なさまを、群馬県の妙義(みょうぎ)・榛名(はるな)、日光の剣が峰、飛騨の神通(じんずう)渓流を凌駕(りょうが)すると絶賛している。麗水は、明るきも暗きも、まさに昇仙峡を味わい尽くした、ということではないだろうか。

御嶽昇仙峡の渓谷美 特別名勝御嶽昇仙峡の渓谷美

 

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