更新日:2019年9月18日

ここから本文です。

その7 虫がいる生活

季節とともに…

季節のうつろいを人間に知らせる使者-それが虫である。記念誌『甲府歴史ものがたり』1-8「自然がおりなす四季の名所」には、明治34年(1901)当時、月ごとに季節を堪能できる名所が表にまとめられている。この内、虫が主役になっているのが、6月上旬からの鎌田(かまた)川や荒川などの蛍、9月上旬からの東光寺や大宮村(湯村など)の「聴虫」、つまり秋の虫だ。
美しい音色を奏でる秋の虫は、江戸時代には一般庶民にも愛でられていた。江戸には、スズムシを採っては売り歩く商売があり、需要の拡大で、人工飼育も行われる。さらにカンタン(スズムシに似て、「りゅうりゅう」と鳴く)やマツムシ、クツワムシなども養殖された。中には、飼育技術の工夫により、季節はずれで鳴く虫も登場したそうだ(高橋千劔破『花鳥風月の日本史』)。 

蛍合戦

さて、見て楽しむホタルは、甲府でも江戸時代から鑑賞された。鎌田川は蛍合戦が見られることで有名だった。旧暦4~5月頃が盛りで、ホタルが群れをなして上へ行ったり、下に行ったり-その様子がくんずほぐれずの「合戦」に例えられた。このホタルは当時、「山蛍」とか「蒲(かま)蛍」と呼ばれ、かなり大きかったという。くらべてみると、「蒲蛍」の方が小さくて、光が薄かったらしい。明治時代には、「みよみよ、みよみよ」と、ホタルを呼んだ。ただし、生息地で春に川浚(さら)いがあると、その年のホタルは少なくなった。人間の営みと環境保全との問題は、すでに、このような形でも見られたのである。

夏の虫

夏の風物詩・セミについては、江戸時代中期と、約100年後、幕末に近い時期の史料に記述がある。中期には、セミは3月末には(旧暦だが)、快晴であれば樹上で鳴き始めたという。しかも山間部では特に鳴き始めが早かったらしい。ハルゼミが多かったのか。これが幕末近くになると、「セミの声に似ている虫」とあり、どうやらセミとは違う虫だったことが判明した。そして、本物のセミが登場すれば、見えなくなったという。甲府のセミは江戸のセミと同じ種類だが、なぜか江戸よりはるかに数が少なかったともある。意外に、夏は静かだったのかもしれない。

さて、夏になるとカやハエも活発に行動する。しかし、幕末期、夏の甲府城内の「御役小屋」は、江戸の武家屋敷よりカが少ないといわれた。さらに標高が高い積翠寺あたりでは、夏の間中、蚊帳(かや)をつる必要がなかったという。明治以降になると、衛生観念が普及する。そうするとカやハエは、病気を人間にもたらすとして、ある意味、その存在がクローズアップされる。明治33年7月、甲府尋常・高等小学校の児童に「夏期休業中の心得」が配られた。その中で、「ハエは伝染病の媒介をするものなので、仇敵(かたき)と思って追い払え」とある。感染症の原因となるというのは合理的思想だが、「仇敵」と思えとはずいぶん感情的である。それほどいまだ病気が恐い時代だったのである。

よくある質問

「特によくある質問」にお探しの情報はございましたか?
上記以外のよくある質問が掲載されている「よくある質問コンテンツ」をご活用ください。
ご不明な点は、よくある質問内のお問い合わせフォームよりご連絡ください。

よくある質問入り口

お問い合わせ

生涯学習室歴史文化財課文化財活用係

〒400-8585 甲府市丸の内一丁目18番1号(本庁舎9階)

電話番号:055-223-7324

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?
このページの情報は見つけやすかったですか?
このページの情報はわかりやすかったですか?

ページの先頭へ戻る