ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化 > 築城500年~武田氏三代の詰城(つめじろ)「要害山」~
更新日:2020年6月26日
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要害山は山城です。甲府市上積翠寺町の丸山に躑躅が埼館(武田氏館)の詰城(つめじろ=緊急時に立て籠もる城)として築かれました。要害山城、要害城、積翠寺城、積翠寺の丸山、積翠寺の要害とも称されます。信虎に築かれ、勝頼が新府城(韮崎市)へ移るまでの62年間、躑躅が崎館(武田氏館)とともに武田氏の領国支配の本拠地となりました。
永正16年(1519)、信虎は石和の川田(現在の甲府市川田町)より躑躅が崎館(武田氏館)に移り本拠地としました<こうふ開府500年>。創建当初の武田氏館は一応の防御施設はあったと想定されますが、永正17年(1520)、緊急時に立て籠もる詰城として館から約2km北方にあたる背後の丸山に要害を築きました<要害山築城500年>。また、麓には「根小屋」と呼ばれる城番の武士の館があり、平時には少数の在番兵が城内と根小屋で警備に当たっていました。
大永元年(1521)、駿河勢が甲斐の盆地まで侵入してきたため、懐妊中だった大井夫人が要害に避難し、信玄を出産しました(一説には麓の積翠寺とも)<信玄生誕500年>。要所には桝形虎口(ますがたこぐち=出入口)が設けられ、堀・竪堀・土塁・石積・堀切なども備えられました。
史跡要害山は、本城「要害城」と要害山の東南の尾根上にある支城「熊城」を合わせた史跡です。平成3年(1991)3月30日、「要害山」という名称で史跡(国指定)となりました。
要害山
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要害山の詳しい内容はこちらをご覧ください。
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