更新日:2013年5月21日

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太刀銘「一(いち)」

この太刀は鎌倉時代の名刀で、『山梨県史文化財編』によると、「太刀の法量は長さ64.5cm、反り2.9cm。形状は鎬造(しのぎづくり)、庵棟(いおりむね)、腰反り高く猪首(いくび)風の中鋒(なかきっさき)を呈する。刃文は丁子乱(ちょうじみだれ)で逆がかった互(ぐ)の目僅(わず)かに交じる。茎(なかご)の目釘穴の上に一の字の銘がある」と記されています。

銘に一文字を刻む刀工は、備前国(現在の岡山県)で作刀した福岡・吉岡一文字の二流派が有名ですが、この太刀は刃文などから吉岡一文字の特色がよく表れているとされています。

現在、この太刀は武田神社の宝物殿に展示してあり、これには、次のようなエピソードがあります。
明治13(1880)年、明治政府で太政大臣を務めた三条実美(さねとみ)が明治天皇とともに来県した際、実美の祖先三条公頼(きんより)の娘が信玄公の正室だったことを知り、そのことから実美が三条家伝来の名刀を信玄公の御霊に寄進しました。
しかし、当時、武田神社の創建について議論されていたものの、建設までには至っていなかったため、太刀は国立第十銀行(現在の山梨中央銀行)の大金庫に保管されました。
その後、大正天皇の即位に際し、大正4(1915)年、従三位の位階が信玄公に贈られたことから、武田神社の建設が強力に推し進められ、同6年建築に着手、同8年には竣工し、銀行の大金庫に保管されていた太刀は、御神宝として武田神社に移され、現在に至っています。

  • 区分…国指定文化財(工芸品)
  • 指定年月日…大正10年4月30日
  • 場所…古府中町2611

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