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更新日:2022年2月14日

構成資産と武田氏

古(いにしえ)より数多くの信仰と芸術を生み出した富士山に関わる文化財には、その山体だけでなく、周囲にある神社や登山道、洞穴、樹型、湖沼などがあります。これらの文化財は、富士山の価値を構成する資産として現在まで受け継がれてきました。

この構成資産の中には、戦国の武将、武田信玄公との縁がある神社もございますので、この構成資産を巡ってから、甲府市を訪れてみるのも物語(ストーリー)があって良いと思います。

冨士御室浅間神社から 武田家甲府へ行くルート

富士山駅から甲府市への路線バス(協力:富士急行(株))

 

 

武田家 縁の地巡り 甲府(移動時間は目安です)

冨士御室浅間神社(世界文化遺産/構成資産)

冨士御室浅間神社本宮は699年に富士山2合目に建てられ、その後、噴火や自然環境の厳しさから1974年に保存のために、里宮である富士河口湖町勝山に遷祀されました。本宮のあった2合目には石の祠が建立されています。

戦国時代武田家三代の祈願所として、信玄公自筆の安産祈願文や信玄公自刻の座像、武田不動明王が奉納されています。

社伝によると、12世紀末期から16世紀後半にかけて複数回にわたり修築が行われ、16世紀後半には、武田信玄公(1521~1573)により大修理が行われたとされています。

北口本宮冨士浅間神社(世界文化遺産/構成資産)

北口本宮冨士浅間神社日本武尊が東方遠征の折り、大塚丘より大鳥居を建て、「富士の神山は北方から登拝せよ」と勅され、祠を建てて祀ったのが始まりと言われています。また、富士山の吉田口登山道の入口でもあり多くの方がここから登拝しました。参道には富士講の石碑が並び、富士山信仰と深い関わりのある神社であることが分かります。

戦国時代には武田信玄公の父・信虎公が北条氏との戦にあたり、境内地である新倉山に陣を張り、戦勝を祈願し勝利したことから、刀が奉納されました。