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更新日:2024年10月4日
信玄公像→舞鶴城公園→長禅寺→展望広場→大泉寺→信玄公墓→円光院→護国神社→武田神社
信玄公ゆかりの山裾古(いにしえ)の道。中世・近世の甲府の歴史にふれながら、武田氏とゆかりの深い寺院をゆっくりと歩いてめぐる、見どころ満載のコースです。
昭和44年4月12日(信玄公の命日)に甲府駅前に武田信玄公銅像建立奉賛会から寄附により設置されました。昭和60年に甲府駅ビル西側の現在地に移転されました。銅像の高さは3.1m、重さ5t、台座はみかげ石で作られています。
甲府城跡の一部で、現在は公園として開放されています。舞鶴城とは白壁が重なり合うその優雅な姿から「鶴が羽根を広げたような城郭」という意味で呼ばれた、甲府城の別名の1つです。
公園内には、築城当時の石垣、復元された門や稲荷櫓、さまざまなイベントが行われる自由広場などがあります。
甲府五山の筆頭にあげられる名刹。信玄公の母・大井夫人の菩提寺です。
長禅寺が開かれた時の住職・岐秀元伯は、大井夫人が招いた、信玄公の幼少期からの学問・政道の師。信玄公の人間形成に大きな影響を与えたといわれています。また、信玄公に、それまでの武田晴信から「機山信玄」という法号を与えたことでも有名な高僧です。
※朱印帳等の記載はご遠慮願っております。
甲府盆地の街並みが一望でき、晴れた日には雄大な南アルプスの山々が眼前に広がる絶景ポイント。休憩場所としても利用でき、花壇に植樹されたアジサイ・くちなしが6月中旬~7月上旬に見ごろとなります。
隣接する甲府市水道局の中区配水施設は、桜の名所で、桜が満開となる時期(4月上旬~中旬)に一般開放します(通常は入場できません)。
大永元年(1521)、武田信虎が天桂禅長を開山として建てた寺で、信虎の菩提寺です。
天正2年(1574)3月、信虎が信州で没した時、その遺骸を国元に送り、ここに埋葬されました。
この寺も戦災のため、法堂、庫裡などを焼失しましたが、幸い、武田3代の霊廟、総門、宝蔵は火をまぬがれ、霊廟には信虎・信玄・勝頼3代の肖像が安置されています。
信玄公の遺体を火葬した場所だといわれ、火葬塚とも呼ばれています。
信玄公の墓はこのほか、山梨県内では大泉寺、恵林寺、長野県の諏訪湖、長岳寺と竜雲寺、和歌山県高野山、愛知県福田寺、京都の妙心寺など全国にあります。
これは信玄公が遺言によって、喪を3年間秘めていたことや万一の外敵を恐れて、埋葬地を秘密にしていた結果ともみられています。
つつじが崎のふもとにあり、信玄公の正室・三条夫人の菩提寺です。
説三和尚を住持として開山し、甲府五山の一つに加えて保護しました。三条夫人が元亀元年(1570)に没したので、この寺に葬りました。
円光院の名は、夫人の没後、その法号をとって称されるようになったものです。
寺には信玄公の寄進状や遺宝が伝えられています。
西南戦争以後、戦争で亡くなった人びとがまつられています。桜の名所としても知られ、桜の時期にはたくさんの人で賑わいます。
また、この場所は、江戸時代の甲府藩主・柳沢吉保の菩提寺の永慶寺があった場所です。
甲斐の名将・武田信玄公をまつった神社で、大正8年(1919)に創建されました。この地は、元来、武田氏三代が63年に渡り国政を執った由緒ある「つつじヶ崎」の館跡で、国の史跡に指定されています。つつじヶ崎の館は戦国大名の館としては全国最大規模を誇るものです。菱和殿(りょうわでん)の天井画には、山梨県内で見られる草木・禽獣(きんじゅう)やキノコが描かれ、幽玄な世界を醸し出しています。