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更新日:2021年6月8日
積翠寺→武田神社→大泉寺→信玄公墓→信玄公像
武田信玄公の誕生の地や館跡、墓地など信玄公のゆかりの地を探訪。信玄公をより身近に感じられる一日歴史探訪のコースです。
境内の巨石から泉が湧き出ていたことで、石水寺と呼ばれていましたが、後に積翠寺と改められました。信虎夫人がこの寺で信玄公を産んだといわれ、現在も産湯をくんだ井戸や産湯天神が残っています。信玄公はこの寺で和漢連句の会を開き、その記録が残されています。
甲斐の名将・武田信玄公をまつった神社で、大正8年(1919)に創建されました。この地は、元来、武田氏三代が63年に渡り国政を執った由緒ある「つつじヶ崎」の館跡で、国の史跡に指定されています。つつじヶ崎の館は戦国大名の館としては全国最大規模を誇るものです。菱和殿(りょうわでん)の天井画には、山梨県内で見られる草木・禽獣(きんじゅう)やキノコが描かれ、幽玄な世界を醸し出しています。
大永元年(1521)、武田信虎が天桂禅長を開山として建てた寺で、信虎の菩提寺です。
天正2年(1574)3月、信虎が信州で没した時、その遺骸を国元に送り、ここに埋葬されました。
この寺も戦災のため、法堂、庫裡などを焼失しましたが、幸い、武田3代の霊廟、総門、宝蔵は火をまぬがれ、霊廟には信虎・信玄・勝頼3代の肖像が安置されています。
信玄公の遺体を火葬した場所だといわれ、火葬塚とも呼ばれています。
信玄公の墓はこのほか、山梨県内では大泉寺、恵林寺、長野県の諏訪湖、長岳寺と竜雲寺、和歌山県高野山、愛知県福田寺、京都の妙心寺など全国にあります。
これは信玄公が遺言によって、喪を3年間秘めていたことや万一の外敵を恐れて、埋葬地を秘密にしていた結果ともみられています。
昭和44年4月12日(信玄公の命日)に甲府駅前に武田信玄公銅像建立奉賛会から寄附により設置されました。昭和60年に甲府駅ビル西側の現在地に移転されました。銅像の高さは3.1m、重さ5t、台座はみかげ石で作られています。