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更新日:2024年2月7日
長禅寺→能成寺→東光寺→円光院→法泉寺
武田信玄公が定めた5つの寺院「甲府五山」。どこも武田氏とゆかりの深い寺院で、信玄と歴史好きな方には特におすすめのコースです。
甲府五山の筆頭にあげられる名刹。信玄公の母・大井夫人の菩提寺です。
長禅寺が開かれた時の住職・岐秀元伯は、大井夫人が招いた、信玄公の幼少期からの学問・政道の師。信玄公の人間形成に大きな影響を与えたといわれています。また、信玄公に、それまでの武田晴信から「機山信玄」という法号を与えたことでも有名な高僧です。
※朱印帳等の記載はご遠慮願っております。
信玄公の父・信虎の曽祖父である武田信守の菩提寺です。もともとは八代郡(現:笛吹市)にあり、信玄公の時代に府中に、さらに、甲府城築城の時、現在地に移ったといわれています。
境内には芭蕉の句碑、赤穂藩の家老・大野九郎兵衛の墓などがあります。
名僧・蘭渓道隆(大覚禅師)が再興し、信玄公が厚く保護したお寺です。
信玄公の長男・義信と諏訪頼重のお墓があります。
長男・義信は父・信玄と対立したといわれ、東光寺に幽閉され、自害しています。また、諏訪頼重は、名門・諏訪家の当主で、信玄公の諏訪侵攻の時、捕らえられ、東光寺に幽閉され、切腹しました。
そのほか、境内には、蘭渓道隆が築いたといわれる見事な庭園(県文化財)、室町時代に建てられたという、国の重要文化財に指定されている仏殿(薬師堂)などがあります。
つつじが崎のふもとにあり、信玄公の正室・三条夫人の菩提寺です。
説三和尚を住持として開山し、甲府五山の一つに加えて保護しました。三条夫人が元亀元年(1570)に没したので、この寺に葬りました。
円光院の名は、夫人の没後、その法号をとって称されるようになったものです。
寺には信玄公の寄進状や遺宝が伝えられています。
南北朝時代に甲斐守護・武田信武が建てたお寺で、武田信武、信玄公の第四子・勝頼の菩提寺です。
信玄公の跡を継いだ勝頼は、天正10年(1582)、天目山の戦いで敗れ、織田信長により、首級は京にさらされました。勝頼の葬儀は京都の妙心寺で行われ、葬儀に参列した法泉寺の快岳宗悦和尚がその歯髪の一部をもらいうけ、法泉寺境内に埋葬したと伝えられています。その「歯髪塚」の目印に桜が植えられたといわれ、現在も勝頼の墓地には桜の木があります。