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更新日:2024年6月28日
夏の風物詩、甲府夏祭り。
色とりどりの吹流しや趣向をこらした飾りが中央商店街などを彩ります。
7月7日を中心に、中央商店街には出店もたくさん立ち並び、浴衣姿の人たちで賑わいます。
イベントの詳細はこちらから 甲府商店街連盟ホームページ(別サイトへリンク)
織女性(しょくじょせい)と牽牛星(けんぎゅうせい)-この二つの星を祭って、乞う(願う)巧(技芸)奠(祭り)を意味する乞巧奠(きっこうてん)は、日本でも早くから取り入れられたようです。白鳳時代の持統天皇5年(西暦691年)7月7日に、公卿たちと宴を開き、衣服を贈られたと日本書紀にあり、また、公事根源(くじこんげん)には、孝謙(こうけん)天皇の天平勝宝(西暦755年)に、初めて乞巧奠(きっこうてん)を行ったとあります。
七夕祭りは、その後も永く行われてきましたが、宮廷と武家に限られたもので、これが民間に伝えられるようになったのは、近世に入ってからのことです。江戸時代の寺子屋教育の影響によって、織女性(しょくじょせい)と牽牛星(けんぎゅうせい)の星が1年で最も近づく7月7日にはこれを祭って、女の子は手芸の上達を願い、男の子は手習いの上達を願いました。また、幕府が七夕をふくむ五節句を制定したこともあり、七夕祭りは全国に広がったのです。七夕飾りのの最初は、笹竹に五色の糸を垂らすだけでした。「和歌」で宮中に仕えた公家の冷泉家(京都)は、様々な文化と共に、七夕の行事を昔ながらに今に伝えています。
その後、いろいろと移り変わり、五色の糸も吹き流しとなり現在の七夕となったのです。
冷泉家では、旧暦7月7日に乞巧奠(きっこうてん)を行っていますが、2星へのお供え物をのせる祭壇を星の座と呼んでいます。
ささのは さらさら
のきばに ゆれる
お星さま きらきら
きんぎん すなご
で有名な唱歌「たなばたさま」は山梨県出身の権藤花代が作詞をしました。
権藤花代は、1899年山梨県北巨摩郡穴山村(現・韮崎市穴山町)に生まれました。1919年(大正8年)山梨師範学校(現・山梨大学)を卒業。母校の穴山尋常小学校に勤務。大正後期から昭和初期にかけて、童謡運動の全盛期で、多数の児童雑誌が出版される中、花代の文学への思いは強く、上京を決意し、出版社に勤めながら、野口雨情と千葉省三に師事し、1961年(昭和36年)に62歳で亡くなるまで多くの作品を残しました。