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更新日:2023年5月31日

令和2年度日本遺産認定!

令和2年6月19日に甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡~水晶の鼓動が導いた信仰と技、そして先進技術へ~』が日本遺産に認定されました!

日本遺産とは

日本遺産ロゴ

地域に点在する史跡や伝統芸能などの有形・無形の文化財をパッケージ化し、地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーとして「日本遺産(Japan Heritage)」として認定する制度です。ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用し、地域活性化を図ることを目的としています。

甲州の匠の源流・御嶽昇仙峡~水晶の鼓動が導いた信仰と技、そして先進技術へ~

ストーリーの概要

昇仙峡一帯の山地は、水の塊と信じられていた水晶を産出する水源信仰の地であり、地域を流れる荒川上流を訪ねると、悠久の時をかけた浸食により形成された大小の滝や巨石、奇岩に驚かされます。水が作った芸術品ともいえるこの渓谷美は、江戸時代末期に行われた新道開削により奇跡的に出現したものですが、地域の人々の熱意により日本有数の景勝地として磨きあげられてきました。そして、昇仙峡一帯で産出された豊富な水晶とその加工技術は、匠の技として日本一のジュエリ―産業の基盤となり、更には人工水晶製造技術へと繋がってスマートフォンなどの電子機器に使用されるなど、過去から現代に至る私たちの生活を支えているのです。

ストーリーの主な構成文化財

甲府市・甲斐市

 

みたけしょうせんきょう
【御嶽昇仙峡】

覚円峰

巨岩や奇岩、奇石群を擁し、希少な造形美を形成する日本有数の渓谷です。

 

甲府市

つばくろいわがんみゃく
【燕岩岩脈】

燕岩岩脈

この岩脈は黒富士火山を構成する火山岩類のひとつで、昇仙峡の形成に大きく関わっています。
何万年も続いた火山活動の歴史を語りかけてくれる貴重な自然遺産です。

きんぷさんごじょういわ
【金峰山五丈岩】

金峰山五丈岩

五丈岩は標高2,599mの金峰山山頂にある巨大な花崗岩で、金櫻神社の本宮となっています。
山頂からは、水の信仰に関わる土馬や水晶玉などが発見され、出土品は山梨県立博物館に展示されています。
山頂の美しい眺望は、修験者のみならず、多くの登山者や写真・文学愛好者をも魅了しています。

のうめん
【能面】

能面

甲斐国の武将武田勝頼が金櫻神社に奉納したと伝えられる本社の宝物のひとつ。
金峰山の里宮として建立された金櫻神社が中世以降武田氏をはじめ領主・武将などの厚い加護を受けていたことを今に伝える貴重な資料です。

※現物は一般公開されておりませんのでご了承ください。

すみよしまきえてばこ・かもんちらしまきえてばこ
【住吉蒔絵手箱・家紋散蒔絵手箱】

手箱

住吉蒔絵手箱は、金櫻神社宝物帳に「武田信玄公母堂奉納」とされている本社の宝物のひとつ。
また、家紋散蒔絵手箱も武田家ゆかりのものと考えられています。

※現物は一般公開されておりませんのでご了承ください。

いかだちらしまきえこどう・ぶぐちらしまきえこどう
【筏散蒔絵鼓胴・武具散蒔絵鼓胴】

鼓胴

金櫻神社の宝物として能面と一連のものです。
桃山蒔絵の技術と意匠をいかんなく発揮した優品です。

※現物は一般公開されておりませんのでご了承ください。

かなざくらじんじゃだいだいかぐらつけたりめんといしょう
【金櫻神社大々神楽付面と衣装】

金櫻大々神楽

修験の地である金櫻神社に室町時代から奉納されている民俗芸能。二十六座のうちには修験の所作が随所に認められ、金峰山麓に育った特異性を持っています。
その舞は、今もなお五月の例大祭において、山々の桜、新緑の木々とともに人々を魅了しています。

みたけどうそじん
【御嶽道祖神】

御嶽道祖神

山岳信仰、御嶽道に残る道祖神。多くの道祖神のほか、道標・巡拝塔が立ち並び、訪ねると江戸時代の巡礼気分にいざないます。

かなざくらじんじゃせっしゃ・はくさんしゃ
【金櫻神社摂社・白山社】

金櫻神社摂社

金峰山の里宮として建立された金櫻神社の現存する数少ない摂社のひとつ。今も県内各地の白山崇敬者の拝礼を受けています。

おさだえんえもんけんしょうひ
【長田円右衛門顕彰碑】

円右衛門顕彰碑

昇仙峡という呼称以前、御嶽が広く世に知られるきっかけとなった新道を開拓した長田円右衛門。村人を助け、文人画家を招き、遊覧客を接待しました。
甲府勤番士にも支えられ、甲府代官所とも連携しました。その功績は顕彰碑に刻まれ、昇仙峡の中心の地で今の世も多くの人々にたたえられています。

かなざくらじんじゃのごしんぽう
【金櫻神社の御神宝】

hinotama

金櫻神社の御神宝。
この水晶玉の加工技術は京都で水晶玉加工販売をしていた玉屋の番頭弥助が水晶買い付けの際、金櫻神社の神官達に伝授したといわれています。

※現物は一般公開されておりませんのでご了承ください。

えんたくじじぞうどう
【塩澤寺地蔵堂】

塩澤寺地蔵堂

天暦9年(955)、空也上人開創と伝える。古湯・湯村温泉郷にあり、湯治・療養・観光・登山等、信仰厚い厄除け地蔵尊をお守りしています。
毎年2月13日正午から14日正午に開かれる「厄除け地蔵尊祭り」には県内外から大勢の人々で賑わいます。
古くから地域の信仰、湯村観光の要所です。

ゆたにじんじゃ
【湯谷神社】

湯谷神社

大同3年(808)、弘法大師によって開湯されたのが湯村前身である志麻の湯。
志麻の世より信仰され、秋葉権現、大宮さん、湯村温泉郷の守り神である湯谷大権現を合せて祭神としています。
なかでも湯谷権現は慶長6年(1601)の検地帳(広瀬家古文書)にも書かれており、中世を今に伝える歴史遺産です。

ひらせじょうすいじょう
【平瀬浄水場登録文化財6件】

平瀬浄水場

旧ろ過池整水井、平瀬水源旧事務所、旧片山隧道下口、旧取水口門部、旧片山隊道上口、第2隧道上口。
江戸の時代から、甲府城下には御嶽の水が届けられました。花崗閃緑岩が名水を作り、今もなお「甲府のおいしい水」として県内外で知られています。
本文化財は、昇仙峡の名水を浄水し市民に送り届けていた施設の遺構であり水道近代化のシンボルとして残されています。

くろべらののうさんば
【黒平の能三番】

黒平能三番

かつて水晶を採掘していた黒平地域に伝わる民俗芸能。上黒平、下黒平の二地域で伝承されています。
伝承者は鎌倉時代に都から落ちのび住み着いた藤原房秀と伝えられています。

※毎年10月第4日曜日に開催される「黒平ほうとう祭り」でご覧いただけます。

※新型コロナウィルス感染症の影響により令和2年度の開催は中止となります。

すみやきかまあと
【炭焼窯跡】

炭焼窯跡

その昔、黒平の集落の人々は炭を焼き、険しい御嶽古道を通り甲府に売りに来ていました。
黒平のキャンプ場から、黒富士への山岳ルートを辿ると、今でもその跡を観ることができます。

 

甲斐市

きゅうかなざくらじんじゃいしとりい
【旧金櫻神社石鳥居】

旧金櫻神社石鳥居

昭和59年(1984)の発掘調査によって発見された金櫻神社の一の鳥居で、鎌倉時代のものです。
現在は、駐車場を確保できる甲斐市の総合公園内に、金峰山方向に遥拝できるかたちで移設建立されています。

みたけこどうのせきぞうぶつぐん
【御嶽古道(亀沢)の石造物群】

御嶽古道(亀沢)の石造物群

金峰山への参拝の道は、江戸時代に「御嶽九筋」と呼ばれる複数の御嶽道(古道)が整備されました。
甲斐市の亀沢はそのルートのひとつです。金峰山五丈岩や金櫻神社と古の人々の祈りを繋げた石造物群を、現在の道路脇に観ることができます。

みたけこどう
【御嶽古道】

御嶽古道

江戸時代の浮世絵師、歌川広重も御嶽古道を歩いて金櫻神社へ参詣し、その折りに古道の奇石や景色を描いています。
広重が絵にした風景を、この場所で今でも観ることができます。

きゅうらかんじのいこう
【旧羅漢寺の遺構】

旧羅漢寺の遺構

羅漢寺は大永年間(1521-1527)に創建されたとされ、開基当時は、羅漢寺山の中腹にありましたが慶安4年(1651)に火災で消失し、その後、新道開削により木造羅漢像とともに現在の場所に再建されました。
旧羅漢寺跡には、当時の石組みなど、かつての遺構が観られます。

もくぞうごひゃくらかんぞう
【木造五百羅漢像】

木造五百羅漢像

修験道場として開基された、その名も羅漢寺に伝わる羅漢像。
寺は、昇仙峡を象徴する覚円峰を抱く山に建立され、山の名も羅漢寺山といいます。

もくぞうあみだにょらいざぞう
【木造阿弥陀如来坐像】

木造阿弥陀如来坐像

修験道場として開基された羅漢寺に伝わる阿弥陀如来です。

 

しらこし
【白輿】

白輿

「承久の乱」により順徳天皇が佐渡に流されていた時期に、越後寺泊から金櫻神社へ勅使を使わした折に奉納品を載せた輿です。

※見学の際は、事前連絡が必要となります。
TEL:055-277-3727(常説寺)

 

 

芸術的な渓谷美を楽しみながら、過去から現在、そして未来へと紡がれていく昇仙峡のストーリーをお楽しみください。