甲斐や信濃には「信玄公の隠し湯」と呼ばれる温泉が幾つもある。「積翠寺温泉」は信玄誕生の地で、「湯村温泉郷」は厄除け地蔵菩薩の地。武田軍団の兵士が療養した。
甲斐や信濃には「信玄公の隠し湯」と呼ばれる温泉が幾つもある。「積翠寺温泉」は信玄誕生の地で、「湯村温泉郷」は厄除け地蔵菩薩の地。武田軍団の兵士が療養した。
※「信玄公の隠し湯」の一つ。湯村山山頂には「躑躅ヶ崎の館」と結ぶ「のろし台」跡がある。
甲斐や信濃には「信玄公の隠し湯」と呼ばれる温泉が幾つもある。「積翠寺温泉」は信玄誕生の地で、「湯村温泉郷」は厄除け地蔵菩薩の地。武田軍団の兵士が療養した。
※「信玄公の隠し湯」の一つ。湯村山山頂には「躑躅ヶ崎の館」と結ぶ「のろし台」跡がある。
湯村温泉郷
信玄の遺徳を讃える「信玄公祭り」は県内最大の祭り。四月十二日前の土・日曜日開催。甲州軍団が出陣する「武田二十四将騎馬行列」は信玄の命日の四月十二日に開催。
信玄の遺徳を讃える「信玄公祭り」は県内最大の祭り。四月十二日前の土・日曜日開催。甲州軍団が出陣する「武田二十四将騎馬行列」は信玄の命日の四月十二日に開催。
※「信玄公祭り」は信玄の軍配のもと、武田二十四将の率いる甲州軍団・武者1600人が出陣する。
信玄の遺徳を讃える「信玄公祭り」は県内最大の祭り。四月十二日前の土・日曜日開催。甲州軍団が出陣する「武田二十四将騎馬行列」は信玄の命日の四月十二日に開催。
※「信玄公祭り」は信玄の軍配のもと、武田二十四将の率いる甲州軍団・武者1600人が出陣する。
信玄公祭り
永正04 年(1507) | 信虎、父・信縄の死により武田家の家督を継ぐ |
永正16 年(1519) | 信虎・大井夫人、躑躅ヶ崎の館に移る |
大永元 年(1521) | 大井夫人男子を出産、幼名勝千代、元服後晴信、後の信玄 |
天文05 年(1536) | 勝千代元服し、晴信と名乗る 三条公頼の娘を妻に迎える |
天文10 年(1541) | 晴信、父・信虎を駿河に追放、甲斐国主となる |
天文11 年(1542) | 晴信、諏訪頼重を攻める |
天文16 年(1547) | 晴信、甲州法度を制定 |
天文22 年(1553) | 川中島の戦いがはじまる(第1回) |
弘治元 年(1555) | 川中島の戦い(第2回) |
弘治03 年(1557) | 川中島の戦い(第3回) |
永禄02年(1559) | 晴信は得度し、徳栄軒信玄と称する。号は機山 |
永禄03 年(1560) | 信玄堤、完成 |
永禄04年(1561) | 川中島の戦い(第4回) 山本勘助ら戦死 |
永禄07年(1564) | 川中島の戦い(第5回) |
元亀03 年(1572) | 信玄、上洛を目指し出陣 三方ヶ原の合戦で徳川軍に大勝 |
天正元 年(1573) | 信玄、信濃伊那郡駒場にて病死 勝頼が家督を継ぐ |
天正03 年(1575) | 勝頼、長篠の合戦において織田・徳川連合軍に敗れる |
天正09 年(1581) | 勝頼、躑躅ヶ崎の館から新府城に移る |
天正10 年(1582) | 勝頼、織田軍の攻撃を受け天目山の麓にて自刃 武田氏滅亡 |
積翠寺 | 武田神社 | 甲斐善光寺 |
要害城の麓、信玄誕生の地で、産湯の井戸が残され、「産湯天神」が祀られている。
所在地:上積翠寺984 電話:055-252-6158 |
武田三代の居館、躑躅ヶ崎の館跡。神社は大正8年(1919)創建。武田家ゆかりの宝物殿がある。 所在地:古府中町2611 電話:055-252-2609 |
信玄の創建。川中島の合戦で信濃善光寺が焼失するのをおそれ、移転した。
所在地:善光寺3-36-1 電話:055-233-7570 |
入明寺 竜宝の墓 | 大泉寺 | 武田信玄公墓所 |
信玄の二男・竜宝の墓がある。天然痘で失明、僧籍に入り別名「お聖道様」。
所在地:住吉4-13-36 電話:055-228-2907 |
武田信虎の菩提寺。武田三代の木像が安置され墓がある。庭園は信虎の築庭。
所在地:古府中町5015 電話:055-253-2518 |
命日は4月12日。墓所内の「八房梅」は一つの花に8個の実をつける珍木。 |