ホーム > 市政情報 > 広報 > 甲府の魅力、大集合!大好き!こうふ市 > GO!GO!市民レポーターが行く! > 2026年7月号・繋いでいく平和への想い ~甲府空襲体験談を聞いて~
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今から81年前の7月6日、甲府空襲がありました。実際に戦争をご経験され、当時を知る方は少なくなっていますが、そういった方々から平和への想いを受け取り、繋いでいくのは私たちです。甲府空襲の体験談を語り継がれる3人の方のお話から、皆さんも「平和」について考えてみませんか。
甲府で生まれ育った神戸さん。甲府空襲当時は11歳、小学5年生でした。富士山の方向からこちらへ向かってくるB-29、壊滅した甲府の街で見てしまったもの、近所に落ちていた不発弾の形状まで、今でも鮮明に覚えているそうです。神戸さんが特に印象的だったと話してくださったのは、焼夷弾の落ちる音。耳を塞いでいても、電車が迫ってくるような轟音が響き、正気ではいられない方もいたそうです。時代は変わっても今なお、戦争の忘れられない記憶を持ちながら、現在を生きる神戸さん。「茶碗にご飯が入っていれば、何とかそれで生きていける」それは今も昔も変わらないシンプルな事実です。平和な毎日に感謝を忘れず、この記憶を繋いでいきたいと思いました。

※神戸昌夫(こうべまさお)さん
渡辺さんのお母さま(故)小林美智子さんは当時16歳。空襲の夜、妹弟を連れて愛宕山へ逃げた際に妹さんとはぐれてしまいます。やっとの思いで戦火の中を逃れ、病院で再会した妹さんは、片足を切断しなければならない状況でした。「お姉ちゃんは花嫁さんになれるのに、私はなれない」と苦しむ妹の姿。廊下へ響く足を切断するノコギリの音。「ミシンを買ってあげるからね」と家族で励ましながら、回復を祈りましたが、二度と妹さんが元気になることはありませんでした。
お母さまはとても明るい方で、妹さんとの思い出は笑い話が多かったそうです。しかし近年の震災や世界情勢の悲しい光景がご自身の過去と重なり、未来に声を届けるため、子どもたちへ語り部としての活動を始められました。
渡辺さんはお母さまに直接、意志を継いでほしいと言われたわけではありません。令和6年に95歳で亡くなられた際に「いつまでも伝え続けたい」という手紙を見つけ、最後の親孝行として、その想いを私たちに繋いでくださいました。

※渡辺理恵子(わたなべりえこ)さん ※お母さまが子どもたちに伝えるため推敲を重ねた原稿
「晶子、空襲だよ」ただならぬ雰囲気のお母さまの声で目を覚ました桂田さん。当時12歳でした。夏なのにお母さまは半纏を着て、相生町から西へ逃げました。家から出た瞬間、パッと明るくなった衝撃を今でも覚えているそうです。あとから知ったことですが、これは塚原町辺りへ落ちた照明弾だったそうです。ご両親は、空襲警報時はどう動くか決めており、使わない畳などを事前に疎開先へ送るなど、いざという時の準備をして、それを見ていた桂田さんも幼いながら長女としての自覚を強く持って行動されていました。戦時中、特に印象に残っていることは、家族で囲んだ食卓だそうです。警戒警報中は明かりを漏らしてはいけないので、電気の傘にスカートのような布を被せます。その下で卓を囲み、家族で身を寄せ合い食事をします。「今思えば質素な食事だったと思いますが、この時間がとても大切で楽しい時間でした。」
桂田さんのお話で、当たり前の毎日や日々の何気ない時間の大切さを改めて実感しました。

※桂田晶子(かつらだせいこ)さん
実際に甲府空襲を体験された方やそのご家族から直接お話をお伺いできたことは、私にとって貴重な機会となりました。私たちは過去から学び、未来を作ることができます。まずは過去に何があったのか、自分と同じような立場の方々がどうしていたのかを知り、これからに生かしていくことが大切だと感じました。