更新日:2022年9月21日
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所要時間 |
50分 |
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距離 |
3.8キロメートル |
歩数 |
6,400歩 |
コース |
武田神社→古府中町1号公園→史跡公園→円光院→信玄公墓→武田神社 |
甲斐の名将・武田信玄公をまつった神社で、大正8年(1919)に創建されました。この地は、元来、武田氏三代が63年に渡り国政を執った由緒ある「つつじヶ崎」の館跡で、国の史跡に指定されています。つつじヶ崎の館は戦国大名の館としては全国最大規模を誇るものです。菱和殿(りょうわでん)の天井画には、山梨県内で見られる草木・禽獣(きんじゅう)やキノコが描かれ、幽玄な世界を醸し出しています。
桜 武田通りを含む武田神社周辺(見ごろは4月上旬~中旬)
小山田氏は、武田家の一門衆の待遇を受けた名族。中津森(後に谷村)に館を構えて、都留群を支配しました。小山田信茂は武田24将のひとり。その屋敷があったところには看板が立てられています。
武田形部少輔信廉は武田信玄の弟で、武田24将のひとり。画家としての実績があり、父・武田信虎画像(大泉寺所蔵)や母・大井夫人画像(長禅寺所蔵)などを残しました。
武田信玄の館であった武田氏館跡(現在の武田神社)の正門にあたる大手門があった場所。平成18年度に行われた発掘調査では、大手門を守るために築かれた大手石塁、下層からは武田氏時代に築かれたと考えられる半月形の三日月堀などが発見されました。
ハス 史跡公園(見ごろは7月下旬から)
つつじが崎のふもとにあり、信玄公の正室・三条夫人の菩提寺です。
説三和尚を住持として開山し、甲府五山の一つに加えて保護しました。三条夫人が元亀元年(1570)に没したので、この寺に葬りました。
円光院の名は、夫人の没後、その法号をとって称されるようになったものです。
寺には信玄公の寄進状や遺宝が伝えられています。
信玄公の遺体を火葬した場所だといわれ、火葬塚とも呼ばれています。
信玄公の墓はこのほか、山梨県内では大泉寺、恵林寺、長野県の諏訪湖、長岳寺と竜雲寺、和歌山県高野山、愛知県福田寺、京都の妙心寺など全国にあります。
これは信玄公が遺言によって、喪を3年間秘めていたことや万一の外敵を恐れて、埋葬地を秘密にしていた結果ともみられています。
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