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更新日:2017年9月26日

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開府500年コラム 地名の由来5~「上阿原・国玉・和戸」~

2019年の「こうふ開府500年」に向けて、市内の地名の由来や歴史を紹介しています。今回は、市の東部にある3町を紹介します。

 

地名の由来

どんなまち?

上阿原
(かみあはら)
阿原とは湿地帯という意味があり、濁川と平等川の間に位置することから。
また、伊勢神宮を勧請(かんじょう)して創建したといわれる神明宮の神事の一つだったスサノオノミコトの「神逐(かみやらい)の儀」が由来との説もある。
昭和40年代に完成した甲府バイパスがまちの中央を走る。玉諸小学校は明治6年に創立し、明治26年に現在地に移転した。

国玉
(くだま)

甲斐国第三宮国玉明神(現在の玉諸神社)が国魂(くにたま)神社を祀ることから。 まちの北部を城東バイパス、南部を青沼通りが走る。地名の由来である玉諸神社は、釜無川の川除け(水防)の神事である「おみゆきさん」が有名。十郎川と濁川の合流点あたりには、かつて甲斐国で一番大きな橋「国玉の大橋」があった。

和戸

(わど)

平安時代の辞書『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』にも載っている南北朝時代の地名「表門(うわと)郷」から(うわと→わど)。
表門郷は、現在の甲府市東部や旧石和町北部のあたりで、昭和57年、大坪遺跡(横根町)から「甲斐国山梨郡表門」と刻書された土師器(はじき)が出土して、この地域が表門郷であることが明らかになった。

土師器

城東通り、城東バイパスが走る。平安時代の歌人・在原滋春(ありわらのしげはる)(業平(なりひら)の次男)の墓所と伝わる在原塚(琴塚)がある。その近辺にかつてあった「太神さん古墳」と「琵琶塚古墳」は、市内では珍しい前方後円墳だった可能性があるとされている。

 

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明治~昭和にかけての甲府の風景やできごとを撮影した写真をお持ちでしたら、シティプロモーション課までご連絡ください。

次回もお楽しみに!!

 

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