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更新日:2012年10月19日

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甲府城御案内仕隊会長 五味 増雄さんインタビュー

五味さん甲府城御案内仕隊は、平成16年に甲府城に稲荷櫓が復元されたときに、山梨県庁の観光振興課で観光ボランティアガイドを集め結成されたボランティア団体。現在は、県庁から離れ外部団体へと移行しましたが、毎週火曜日から日曜日、各曜日に分かれて、いついらしても御案内ができるようなおもてなしの団体として活動を続けています。発足から9年、現在隊員は85人。五代目会長の五味増雄さんにお話を伺い、五味会長さんの目線から、甲府城を紹介していただきます。

意外と知らなかった?!甲府城のあれ・これ

甲府城はもともとは小山だった?!

甲府城は、「武田信玄が建てた城」と誤解されている方もたくさんいらっしゃいますが、実は違うんです。
今の甲府城の場所は「一条小山」という山で、平安末期から鎌倉時代の初めには甲斐源氏の一条忠頼の館があり、忠頼の死後、夫人が館を尼寺とし、後に一蓮寺となりました。信玄の時代には、現在のような城は無く、一連寺と府中防衛のために砦などが設置されていたのみでした。
信玄が亡くなり勝頼が後を継いで2年後に長篠合戦で武田家は大打撃を被り、それから7年後の天正10年3月に武田家は滅び、甲府は織田信長の配下となりました。しかし、3ヶ月後の6月に信長が本能寺で亡くなり、いったんは徳川家康の配下になりましたが、天下を統一した豊臣秀吉が家康の力を恐れ、家康に江戸に移る様に命じ甲府は秀吉の配下になりました。その後、江戸の家康を監視・牽制するために秀吉の命令で一連寺を現在の場所に移して、甲府城が作られたと言われています。同じ目的で作られたと考えられているのが、駿府城・松本城・上田城、会津若松城などで地図で見ると家康のいる関東を大きく取り囲むような城のネットワークを形作っています。
これらのお城では織田・豊臣時代の象徴である「金箔瓦」の一部が発掘されたりしています。もちろん、甲府城でも金箔を貼った鯱瓦の破片が見つかっているんですよ。

 

1度に2つの歴史(時代)を見ることができる石垣?

 

甲府城の石垣は、よく見るとさまざまな時代に作られた跡をはっきり見ることができます。まずひとつは「石の積み方」。割っただけで加工していない大小の石が積まれている約400年前の石垣と、石を加工し隙間が少なくなるように積み上げられた約300年前の石垣。これらおよそ100年違う石垣が並んでいる場所があります。

石の割り方は今も昔も変わりなく「矢穴」を数カ所開け、そこに力を加える技法です。
昔であればあるほど、矢穴の幅が広く矢穴の数も多くなります。

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▲右側が約400年前、左側が約300年前に積まれた石垣

 

左上の写真は、約400年前にあけられた矢穴の跡、右上の写真は現代の矢穴です。技術の進歩により、矢穴は細く長くなりましたが、石を割る方法は基本的に変わっていないことが分かります。甲府城内には、石垣の石を切り出したと言われる石切場跡も残っています。

石切場跡

意外とつながりのある江戸幕府と甲府城

江戸時代になると、甲府城は江戸防衛の最前線として徳川家の人たちが次々と城主になります。もちろん、これらの人たちは江戸城近くに屋敷がありそこに住んでいたので、甲府に来たことは無かったと思われます。お殿様(藩主)として、甲府城に住んでいたという記録があるのは、柳沢吉保の子である吉里だけです。
江戸幕府6代将軍徳川家宣も甲府城主だったことがあります。3代将軍徳川家光の長男家綱が4代将軍になりましたが、子どもをもうけずに危篤になってしまったため、家綱の弟で只一人存命であった綱吉を養子にしました。
家綱が亡くなり5代将軍となった綱吉ですが、こちらも世継ぎがいなかったため綱吉の兄で家綱より先に亡くなってしまっていた甲府宰相綱重の子(つまり綱吉から見ると甥)を養子にしました。この綱豊(つなとよ)が家宣と改名し、6代将軍になったのです。

 

明治時代にはワインの醸造所があった

勧業試験場跡明治時代になると、新政府により殖産興業の一環で甲府城内に勧業試験場が作られワイン醸造が行われました。城の土地を利用して葡萄を栽培し醸造したと言われています。もちろん、山梨にだけ醸造所が作られたわけではなく、北海道や岡山などにも作られましたが、甲府城が全国で始めてワインの量産に成功したそうです。甲府城の鍛冶曲輪からは、ワインの瓶などが発掘されています。
山梨は、江戸時代から「甲州八珍果」と呼ばれたように葡萄や梨、桃、柿などの果実の生産が盛んで有名でした。
柳沢吉保の時代には、将軍に献上するために葡萄が江戸に運ばれ、予備として持って行き余った葡萄を江戸の市場で売るようになったという説もあるんです。

甲府城に行ってみよう!

甲府城には、他にもたくさんの歴史が詰まっています。日本中で有名な武田信玄を中心にした甲府の歴史を知っていくと、以外に身近なところにゆかりのある何か面白いものがあるかもしれないですよ。「甲府城御案内仕隊」は、そのような発見をたくさん知っています。是非甲府城に訪れて、今まで知らなかった甲府の歴史について一緒にお話をしませんか?

 

新規隊員募集中!

ガイド活動の様子甲府城御案内仕隊では、毎年11月~1月末までの3ヶ月間、新入隊員を募集しています。
応募して頂いた方には、2月・3月に月2回程度の研修を受講して頂き、4月・5月に、先輩隊員に付いてガイドの実習を行い6月から正式隊員となり活動して頂きます。
応募の要件は、甲府城を中心とした歴史に興味がある18才以上で1ヶ月に最低2回程度は自分の所属する曜日にガイド活動が行える方です。

甲府城御案内仕隊

平成16年に結成された、現在85名のボランティアガイド団体。甲府城を中心に毎週火~日曜日に活動中。赤いウェアが目印です。甲府城御案内仕隊の方とお話をすると、新たな発見ができ、歴史や文化がより身近に感じられます!甲府駅近くで少し時間がある時、お休みでゆっくりしたい時、歴史について勉強したいと思った時、甲府城を訪れてみてはいかがでしょうか?

お問い合わせは、Faxかメールで下記までお願いします。
Fax:055-213-5893
メール:info@kofujyo-guide.jp

 

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