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更新日:2021年6月15日
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武田信玄公は広く仏教を信仰し、宗旨のいかんを問わず、寺院・僧侶を崇敬保護しました。
なかでも信玄は禅法を尊び、臨済禅の関山派に深く帰依し、京都や鎌倉五山にならって、府中とその周辺に府中五山(甲府五山)を定めました。
大井夫人の墓
重要文化財「絹本著色武田信虎夫人像」(信玄の弟である、逍遥軒信綱画)
県文化財「紙本著色渡唐天神像」
甲府市愛宕町208
055-252-2471
鎌倉の建長寺の開山・蘭渓道隆禅師によって、密教から臨済宗に改められた寺です。
寺には、信玄に捕らえられこの寺で自刃した諏訪頼重、父・信玄とのいさかいから寺に幽閉され自害した息子・武田義信の墓があります。
大覚禅師が築いたといわれる庭園は見事で、後世の日本の庭園文化に強い影響を与えています。また、仏殿(薬師堂)は室町中期の唐様建築物として重要文化財になっています。
国重要文化財「東光寺仏殿」
県文化財「東光寺庭園」
諏訪頼重、武田義信の墓
甲府市東光寺3-7-37
055-233-9070
つつじが崎のふもとにあり、信玄の正室・三条夫人の菩提寺です。開山は東光寺から招かれた説三和尚で、信玄と三条夫人の息子・武田義信の幽死に立ち会ったことで深く帰依し、夫人は自らの菩提寺と定めました。円光院の名は夫人の没後、その法号をとって称されるようになりました。
寺には信玄の寄進状や遺宝が残されています。
県文化財「三条夫人の墓」
市文化財「円光院文書」
甲府市岩窪町500-1
055-253-8144
鎌倉時代の終わりごろ、武田信武が開いた寺といわれています。信玄の時代には快岳禅師を住持として妙心寺派に改めたり、息子・勝頼を中興開基にするなど寺を厚く保護していました。
天正10年(1852)3月11日、勝頼は大和村田野に滅び、首級は京にさらされましたが、妙心寺の住持・南化和尚が首をもらいうけ、のちに快岳和尚が歯髪を持ち帰り、寺の開基・武田信武の墓の傍らに葬られています。
市文化財「鐘楼門」
武田信武・勝頼の墓
甲府市和田町2595
055-252-6128
貞和年間(1345~49)、武田信守が開基となって建立した臨済宗の寺です。もともと八代郡(八代町北)にあったものを信玄の時代に府中に移されました。
かつて境内には「宿竜池」の石碑があり、池には笠英和尚の手植とされる大きな松がそびえていました。芭蕉の「名月や池をめぐりて夜もすがら」の句碑もあります。
武田信守の墓
甲府市東光寺町2153
055-233-9396
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