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【第6回ふるさと文化ふれあいウォーク~健康づくりと世代間の交流を深めることを目指して~】
3月15日(日曜日)
大国地区で歴史探訪を実施しました。今回は、大里町周辺の八坂神社、円満寺、北向き地蔵、東光寺、熊野神社、柴宮神社を散策しました。日本への硬式テニス導入や日本人初のプロ野球選手など多方面で日本に影響を与えた「三神家」おなじみの場所にも行ってきました。
円満寺は、室町時代に普明国師(甲斐の国出身、夢窓国師の甥)が開山したと言われている臨済宗のお寺です。明治7年(1874)、周辺の村々と合併して大里村になる前までは、この地域は「円満寺村」と呼ばれていました。円満寺が昔から地域の象徴のような存在であったことが分かります。

円満寺の次に訪れたのは、「北向き地蔵」という名で親しまれている日輪地蔵尊です。背中には「享保八卯七月(1723年7月)念仏供養立」と刻まれていて、300年以上前に作られたことが分かります。北を向いて座っている地蔵は珍しいそうです。当時の甲府北部でコレラや赤痢などの伝染病が流行しており、その病がこの地域に流れ入ってこないよう、地域を守るために北を向いているそうです。

その後、東光寺、熊野神社、柴宮神社、道祖神を見学しましたが、なんとこの4つは隣接しているんです。
東光寺は、慶長19年(1614)に創建された臨済宗妙心寺派のお寺です。明治6年(1873)には「厚生館」という名称で学校が開かれていました。およそ15もの村から子どもたちが東光寺(厚生館)へ通い、読み書きを習っていました。これが大里小学校のはじまりと言われています。

そして東光寺には、テニスラケットの形をした三神八四郎さんのお墓があります。なぜテニスラケットの形をしているのかというと、八四郎さんは日本に硬式テニスの導入を提言した人なんです。東京都西東京市には、八四郎さんの母校へ長兄が寄贈した「早稲田大学三神記念コート」があり、現在でも使用されています。また、八四郎さんの弟は日本人初のプロ野球選手の三神吾郎さんで、オールネイションズで遊撃手・投手として活躍しました。
今回の歴史探訪を通して、地域に残る寺社や地蔵などの歴史、そしてそれぞれの繋がりや変遷について実際に見て学ぶことが出来ました。身近な場所にも、まだまだ知らない歴史がたくさんあることを実感する1日となりました。
【相川地区歴史ウォーク2026】
3月7日(土曜日)
相川地区で歴史ウォーキングを実施しました。今回のテーマは、甲府を代表する史跡である武田氏館跡の構造や周辺の歴史を学ぶことです。館跡の★1曲輪(くるわ)配置図を見ながら講師の解説を聞き、実際の地形や構造と照らし合わせて理解を深めました。
武田氏館跡は、いくつもの「曲輪」によって構成された城館で、中心に★2主郭(しゅかく)があり、現在は武田神社があります。周囲には「西曲輪」「味噌曲輪」「御隠居曲輪」「稲荷曲輪」「大手外曲輪」など、用途や役割の異なる曲輪が配置され、館全体を守る構造となっていました。こうした曲輪の配置を見ることで、当時の防御や生活の様子を想像することができます。
(★1「曲輪」とは、お城を作るために石垣や堀などで囲われた区画のこと。)
(★2「主郭」とは、お城の中心的な役割を担っていた場所のこと。)

また、館の周囲には水堀(敵がお城へ攻め入って来たり、動物が中へ入ってきてしまうのを防ぐための深い堀)が設けられていましたが、これは戦いのためだけでなく、生活用水としての役割もあったと考えられています。水堀の跡は、現在でもはっきりと見ることができます。さらに、武田氏滅亡後には徳川方の家臣が入城し、防御を強化するために石垣などの整備が行われたとも伝えられています。館の入口付近には大手門の階段跡といわれる場所もあり、今でも当時の城の姿を感じることができました。

(右側に見える堀が水堀の跡)
次に、甲府市歴史文化交流施設である「信玄ミュージアム」も見学しました。解説を聞きながら館内を巡り、施設の成り立ちや展示の工夫について学びました。特別展示室では、相川地区から発掘された土器や馬の骨などが紹介されており、地域の歴史が身近な場所から発見されていることに驚かされました。

そして今回は特別に、普段は立ち入ることのできない主郭北西部の天守台も見学させていただきました。こうした現地での体験を通して、地図だけでは分からない館の広がりや地形の特徴を改めて学ぶことができました。
天守台の更に西側にある「西曲輪」は、2011年に修復工事が完了しました。そこでは敵の侵入を防ぐための★3枡形虎口(ますがたこぐち)の門跡が見られ、当時の姿を伝えています。
(★3「枡形虎口」とは、四角く城壁に囲まれたお城の入り口のこと)
武田氏館跡は昭和13年に国の史跡に指定され、指定面積は約17万平方メートルにも及び、これは東京ドーム約3.6個分です。今回のウォーキングでは、歴史資料と実際の景観を重ねながら、地域に残る戦国時代の歴史を改めて感じる貴重な機会となりました。今後も、身近な地域の歴史を学びながら、その魅力を多くの方に伝えていきたいと思います。
【琢美地区文化講演会 私の街の歴史探訪】
3月3日(火曜日)
甲府市立図書館にて、琢美地区文化講演会を開催しました。

はじめに、山梨県埋蔵文化財センターの上野様より「城東二丁目深町遺跡・甲府城下町遺跡の発掘調査」についてご講演いただきました。現在は住宅が建ち並ぶ場所の地下に、かつては城の堀が広がっていたこと、発掘調査では堀跡だけでなく土塁や木製構造物なども発見されていることが紹介されました。普段何気なく歩いている町の足元に、戦国から江戸への歴史が刻まれていることを知り、感動しました。

続いて、琢美地区郷土研究部部長の高原様より、7代にわたり続いた名医・竹村家についてのお話がありました。中でも6代目の竹村子侯(しし)は、医師としてだけでなく書や絵にも優れ、家塾を開いて人材育成にも尽力した人物です。地域に根差し、多くの人々に慕われたその姿から、医療と教育の両面で地域を支えた先人の功績を学びました。

さらに、躑躅ヶ崎歴史案内隊代表の大塚様より、「悲運の武将・武田勝頼」についてご講演いただきました。長篠の戦いは、一般的に3000挺もの鉄砲による一方的な戦いとして語られていますが、実際の状況やその後の動向など、史料に基づく多角的な解説がなされました。勝頼の苦悩や決断に思いを馳せる、深い学びの時間となりました。
身近な地域の歴史を掘り下げることで、今を生きる私たちの暮らしともつながっていることを改めて感じる一日となりました。
【「長篠の合戦と武田勝頼」講演会】
12月13日(土曜日)
甲府五山のひとつである円光院の本堂で、講演会を開催しました。

天正3年(1575年)、三河国長篠城をめぐり織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍との間で行われた「長篠の合戦」。
今回の講演はその歴史的な戦から450年という節目を記念して、山梨県在住の歴史学者 平山優先生を招いて開催されました。

地形から見た武田軍と織田・徳川軍の力関係、「長篠の戦いは本当に教科書どおりなのか」という通説の見直しや、岡崎攻略失敗と長篠城包囲戦、鉄砲と弾丸の最新研究など、内容が盛り沢山の講演会でした。
長篠の戦いの通説は大きく見直されているそうです。近年の、織田信長の家臣である太田牛一が信長の生涯を詳細に記した「信長公記」や現地の発掘調査での検証により、これまでとは異なる解釈が行われるようになっているそうです。
また、武田軍、織田徳川軍が使った鉄砲玉の成分を分析し、海外から輸入により鉛を手に入れていた織田軍と、鉄砲玉の入手に苦戦していた武田軍との物量の差も明らかになったとのことです。
戦局を分けたのは決して革新的な戦術だけではないという、従来のイメージにとらわれず、史料を読み解くことの大切さを教えていただいた内容でした。
【歴史探訪ウォーキング】
11月30日(日曜日)

住吉悠遊館を出発、遠光寺、沼川公園、甲府地区消防本部、県営甲南住宅等を巡ります。

鎌倉時代からの長い歴史を持つ遠光寺は、1945年の甲府空襲で諸堂が焼失しましたが、1970年に現在の八角堂が再建されたそうです。
普段は通りすぎてしまうような場所を歩くことで、車では見落としがちなまちの歴史に触れるきっかけにもなりました。
【北新地区「ウォーキング+歴史探訪」】の集い
11月22日(土曜日)
緑ヶ丘スポーツ公園を出発し、法泉寺の広大な寺領を示す「寺」と書かれた石、その名も「寺石」を探索しながら、湯村山を巡りました。
寺石とは、湯村山の北東にある法泉寺の寺領の境目を示す目印です。湯村山には、13個の寺石があります。

甲府五山の一つである法泉寺の境内は2093坪。山林は外周がなんと約4kmもあるとのこと。
遊歩道を外れ、険しい坂道を登ります。道中では、あずまやや烽火台を見ることもできました。
しばらく登ると、寺石がありました!今回は全ての石は巡らず、山の中腹で折り返します。
北新地区の豊かな自然や歴史に触れながら、秋のウォーキングを楽しみました。

【「板垣の里」三世代ふれあいウォーク】
11月16日(日曜日)
里垣小学校を出発し、酒折宮、甲斐善光寺、東光寺、能成寺を訪れ、郷土が誇る歴史に対する理解を深めました。
酒折宮では、木々が紅葉し始めた美しい自然の中、住職さんのお話を聞きました。
酒折宮は、山梨県で唯一古事記、日本書紀に記載されている神社であり、古く長い歴史があります。また、日本武尊(やまとたけるのみこと)が酒折宮で歌を詠んで武者たちへ問を残したところ、誰も答えられなかった中、酒折宮の御火焼之老人(焚火番の老人)が続きを詠み、ここで初めて歌の前半と後半を別の人が詠み継ぐという形式が成立したことから、連歌発祥の地といわれているとのこと。

今回のウォーキングでは、里垣地区について更に知ることができました。
【右左口浄瑠璃人形のお里帰り】
11月15日(土曜日)
中道地区の右左口浄瑠璃人形は、山梨県の有形民俗文化財として指定され、平成17年から県立博物館で保存されていました。
今回は地元への伝承を目的に、県立博物館にお願いをして出張出前講座という形で、20年ぶりのお里帰りを実現しました。

天正10年(1582年)、徳川家康が「中道往還」経由で甲斐入国の際、右左口衆の協力に感謝して御朱印状が授けられました。それを記念する御朱印祭りで人形芝居が演じられたことが、右左口人形浄瑠璃の始まりとされています。

明治初期まで行われていたとされる人形芝居。上演が途絶えた後も祭礼当日には衣装を着せた人形を飾り、上演していた頃の名場面を再現して鑑賞する「デクの飾り」が行われていました。
大正初期に御朱印祭りが廃されたあとも、二年に一度、8月15日に「デク人形」の虫干しの機会を設けられ、子どもたちを集め由来を説明伝承してきたそうです。

現在は人形の老朽化が進み、現存する44体のカシラ、約100枚の衣装が県立博物館において保管されています。
今回は地域の深い歴史に触れる貴重な機会となりました。
【~こうふ開府500年レガシー事業「私の地域・歴史探訪」~大国小学校3年生「地いきれきし学習」】
6月12日(木曜日)
大国地区連合会と市立大国小学校の主催で、3年生の子どもたちが安全協会、文化協会など地元の方の案内のもと、学区内の後屋地域の史跡を訪ねました。
最初に訪れた勝善寺は、南北朝時代の創建です。鎌倉時代から室町時代にかけて活躍し、この寺院の開山である夢窓国師(むそうこくし)と、寄木造で玉眼入り、全身に金箔を施した本尊の釈迦如来(しゃかにょらい)の坐像はともに市の文化財に指定されています。
子どもたちは、坐像を前に地域の方の説明を聞きながら、たくさんメモを取っていました。
境内にあるタラヨウの木の葉は、傷をつけるとその部分が黒く変色して文字が書けることから、はがき(葉書)の語源となっています。なんと、切手を貼ればはがきとして実際に送ることもできるそうなんです!!
子どもたちは、初めての経験で何を書こうかとても悩みながら、葉に字を書いて楽しんでいました。

「サッカー選手になりたい!」
「宇宙飛行士になって宇宙に行きたい!」など将来の夢を書く子どもや、
「私は家族に書く!」と言ってお手紙を書く子どもの様子も見られました。

「もう1枚書きたい!!!」と話す子どももたくさんいて、タラヨウの木の葉は大人気でした。
また、境内のお堂には、台所の神とも呼ばれる火やかまどの神の「 三宝荒神(さんぽうこうじん) 」が祀られています。この荒神は、仏教の三宝(仏・法・僧)を守護することから3つの顔を持っています。この日は特別に公開していただきました。
子どもたちはお堂に上がり、地域の方のお話を聞きながら、興味深そうに荒神像を間近で拝観しました。

この後、道祖神や蚕影山碑(こかげさんひ)を見学しました。
子どもたちが自分の住む地域の歴史について体験しながら学ぶ、とても貴重な機会になりました。
探訪ポイント:勝善寺・三宝荒神社・タラヨウの木・道祖神・「蚕影山」碑
【ふれあいウォーキング大会】 5月25日(日曜日)
羽黒自治会館を出発、裏手には羽黒大宮神社があります。羽黒大宮神社は今年、未指定の文化財の保存・活用を推進する「甲府遺産」に認定されました。

神社北の登山道を上り、配水池前の道路を千代田霊園前まで歩き、折り返します。
羽黒地区の子どもから大人までの多くの人が、地元の大自然の中、ウォーキングを楽しみました!

奥湯村園東の赤い橋の手前で再度折り返し、自治会館まで戻ります。
心配されていた雨も明け方には止み、一時は日が指す中、羽黒山の歴史散策ができました。


散策後は、地域の方が用意してくださったかき氷をいただきました !
探訪ポイント:大宮神社(羽黒町)・大宮神社北登山道・羽黒配水池・赤い橋(奥湯村園東)
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