更新日:2024年4月12日

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要害山(ようがいさん)

令和2年(2020)に要害山築城500年をむかえました。

要害山

 武田信虎は、永正16年(1519)、躑躅が崎の地に館を築いて新たな本拠としました(武田氏館跡)。翌永正17年(1520)、緊急時に避難のために立てこもる詰城(つめじろ)として、背後の丸山に要害城を築きます。若くして家督を継いだ信虎は、甲斐国内で反乱を起こした油川氏や小山田氏らの武将を次々と平定し家臣化しました。そして武田氏館の周辺に集住させ、さらに商職人を住まわせて、館を中心とした城下町である甲斐国の府中=甲府を開創しました。
 大永元年(1521)、駿河勢が大挙して富士川をさかのぼって甲府盆地に攻め入ってきたとき、懐妊中だった大井夫人は要害城に避難し、後の信玄を出産しました(一説には山裾の積翠寺)。
 城には山腹から主郭に至る通路に沿って枡形虎口(ますがたこぐち=出入口)に伴う門と郭(くるわ)が複雑かつ連続して付設されています。竪堀(たてぼり)や堀切(ほりきり)を要所に設けて防御を固めている様子は、戦国時代の緊迫した状況を今に伝えています。平坦にならされた山頂の主郭は東西約73m、南北約22mの広さがあり、土塁で囲まれていて、庭園の存在をうかがわせる大石も存在します。信虎・信玄・勝頼の三代にわたって使用され、勝頼が新府城(韮崎市)へ移るまでの62年間、武田氏館跡とともに武田氏の領国支配の本拠地となった山城です。城内には「諏訪水」と呼ばれる今でも水をたたえる井戸や武田不動尊の石像、東郷平八郎の書による「武田信玄公誕生之地」の石碑などもあります。

要害山案内板登城道(遊歩道)の入口に立つ史跡要害山の説明看板です。

虎口虎口(こぐち):各所に築かれた出入口のことです。

石積み石積み:要害城は随所に自然石を用いた石積みが見られます。

dorui土塁(どるい):敵の侵入を防ぎ、上から攻撃します。

現地の主要な箇所には案内板が設置してあります。

要害城には、竪堀跡(たてぼりあと)や土塁(どるい)、曲輪(くるわ)や門跡(もんあと)など、往事をしのぶ特徴的な遺構が比較的良好に残っています。主な遺構に案内板があります。要図に案内板の位置を示しました。

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(1)竪堀跡(たてぼりあと)

竪堀は斜面の横への移動を妨げるための防御施設です。
写真は西端に設けられた竪堀で、ここから主な遺構が広がります。

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(2)土塁(どるい)

土を盛って造った土手のことを「土塁」といいます。西端の竪堀に沿って築かれた土塁です。

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(3)門跡(もんあと)

竪堀をすぎて九十九折の道を登った所にある虎口です。両側には石積みが築かれ、ここには門が建てられていたと思われます。
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(4)曲輪(くるわ)

堀や土塁によって区画された平場を「曲輪(郭)」といい、居住用の建物や倉庫、防御施設などが建てられていました。要害城にはこのあたりから山頂にかけて大小様々な曲輪が設けられています。
曲輪

(5)不動曲輪(ふどうくるわ)

この名称は、江戸時代後期に建てられた武田不動尊に由来すると考えられます。
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武田不動尊の石像不動明王(ふどうみょうおう):不動曲輪に建てられた信玄公を見立てた武田不動尊です。

井戸

ido井戸(いど):築城に際して諏訪明神に立願して得たと伝えられ、諏訪水と言われます。

諏訪明神諏訪明神(すわみょうじん):涸れたことのない諏訪水かたわらの石祠です。

(6)門跡(もんあと)

要害城で最も重厚な構えの虎口で両側に高く整然とした石積みを築いて通路を狭くし門を構え、防御と攻撃の拠点として機能しました。
門跡

(7)曲輪(くるわ)

この曲輪は、これまで見てきた小規模なものとは異なり、山腹を大規模に造成して広い平坦部を造っています。ここから主郭部にかけて大きな曲輪が連続しています。
曲輪

(8)曲輪(くるわ)

(7)と同じく、比較的規模の大きい曲輪です。

曲輪

(9)曲輪(くるわ)

(8)の上に設けられた曲輪です。

曲輪

(10)門跡(もんあと)

この門から主郭までは、階段状に曲輪が連続し、道が何度も折れ曲がり、堅固な造りをみせています。

門跡

(11)門跡(もんあと)

主郭部西側に設けられた、上下二段に石積みが築かれた門です。

門跡

(12)主郭部(しゅかくぶ)

山頂に築かれた主郭部は、東西約73m・南北約22mの長方形で、周囲に土塁を築いています。城の最も重要な場所であり、庭園に用いられたと思われる大石も残っています。ここから眺める富士の峰は見事です。
主郭部主郭部の曲輪 

12shukakubuooishi庭園の跡とみられる石

 

12fuji主郭部から眺める富士の峰

石碑石碑:「武田信玄公誕生之地」東郷平八郎書の碑があります。

(13)門跡(もんあと)

主郭部東側に設けられた、主郭を守る重要な門のひとつです。

門跡

(14)堀切跡(ほりきりあと)

狭い土橋を残して尾根を切った跡です。一度に大勢の敵兵が城の背後から主郭部に進入するのを防ぎました。要害城では石積みを用い、深く広い堀切を造っています。
堀切跡

(15)竪堀跡(たてぼりあと)

土橋を残した堀切から竪堀となる特徴的な遺構です。

竪堀跡

(16)曲輪(くるわ)

主郭部東側の尾根には段差をもって曲輪が連なり、堀切や竪堀が連続して設けられています。

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(17)門跡(もんあと)

東端に設けられた門。連続する竪堀とともに防御のために重要な施設です。

門跡

(18)竪堀跡(たてぼりあと)

要害城の東端に設けられた土橋を残す堀切から竪堀となる構造の防御施設です。
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続日本100名城(要害山城)のスタンプについて 

甲府駅北口広場にある甲府市藤村記念館にスタンプが置いてあります。休館時はスタンプを押した紙を用意してあります。詳しくは次のとおりです。
1.藤村記念館開館中:館内にスタンプが置いてあります。
2.藤村記念館休館時:藤村記念館の正面玄関向かって右側にある黒色のポストの中に、スタンプを押した紙を入れてありますのでお取りください。

  • 区分…国指定文化財(史跡)
  • 指定日…平成3年3月30日
  • 場所…上積翠寺町

 

お問い合わせ

生涯学習室歴史文化財課文化財活用係

〒400-8585 甲府市丸の内一丁目18番1号(本庁舎9階)

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