更新日:2011年11月29日

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要害山

武田信虎は、永正16(1519)年、躑躅が崎の地に館を築いて新たな本拠としました。その翌年、緊急時に避難のために立てこもる詰城として、要害山(通称「丸山」)に要害山城を築いています。若くして家督を継いだ信虎は、甲斐国内で反乱を起こした油川氏や小山田氏らの武将を次々と平定し、武田氏館の周辺に集住させて監視を強化しました。大永元(1521)年、駿河の福島勢が大挙して富士川をさかのぼって甲府盆地に攻め入ってきたとき、懐妊中だった大井夫人は要害山城に避難し、後の武田信玄を出産したとされています(一説には山裾の積翠寺)。

城には山腹から主郭に至る通路に沿って、枡形虎口(ますがたこぐち)に伴う門と郭(くるわ)が複雑かつ連続して付設されています。竪堀や堀切を要所に設けて防御を固めている様子は、戦国時代の緊迫した状況を今に伝えています。約500坪におよぶ平坦にならされた山頂の主郭は土塁で囲まれていて、庭園の存在をうかがわせる立石も存在しています。城域には、「諏訪水」と呼ばれる今でも水をたたえる井戸や武田不動尊の石像、東郷平八郎の書による武田信玄誕生の地の石碑などもあり、散策することができます。

武田不動尊の石像

城は、武田信虎、信玄、勝頼と三代にわたって使用され、武田氏滅亡後も修築・再整備されましたが、慶長5(1600)年に廃城になっています。

  • 区分…国指定文化財(史跡)
  • 指定日…平成3年3月30日
  • 場所…上積翠寺町

 

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