更新日:2012年4月25日

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銅造観世音菩薩立像

平成6年、山梨英和短期大学(現山梨英和大学)の横根キャンパス造成に先立ち、東畑遺跡・道々芽木(どどめき)遺跡・八木沢遺跡の発掘調査を行いました。
調査の結果、古墳時代から平安時代にかけての集落跡が見つかり、多くの土器が出土しました。

観世音菩薩像は平安時代(9世紀)の竪穴(たてあな)住居跡から、少量の焼土とともに出土しました。出土した当初は全身厚い錆(さび)で被われ、詳細な形状についてはまったく不明でしたが、錆を除去すると、神々しい光を取り戻しました。

鋳銅一鋳(ちゅうどういっちゅう)で鍍金(ときん)(金メッキ)が施され、与願施無(よがんせむ)畏印(いいん)(右手は肘(ひじ)を鋭角に曲げ、左手を軽くたれ下げる)を結んでいます。

仏像の表面は大部分が銅色をしていますが、科学的分析調査の結果、メッキされた金が全身に残っていることがわかり、現在も瓔珞(ようらく)(胸飾り)の周囲などには金色の部分があります。

その様式から、白鳳(はくほう)時代(7世紀後半)に制作されたと考えられ、しかも渡来系の仏師が携わった可能性も指摘されています。



画像:銅造観世音菩薩立像。総高11.1cm、像高9.5cm。現在、県立博物館の常設展で展示されています

 

日本が律令国家への第一歩を踏み出した時代に誕生したこの仏像は、平安時代に忘れ去られるまでの200年間、どんな人物が礼拝し、どのような経緯によって甲府の地にもたらされたのでしょうか。また、一度は忘れ去られ、二十世紀
末に再び発見されるまで、千年以上もの時が経過しています。仏像が光を放っていた200年と、光を失った千年に思いを馳(は)せると、壮大な歴史物語が心をよぎります。

 

  • 区分・・・県指定文化財(彫刻)
  • 指定日…平成8年2月19日

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