更新日:2019年8月19日

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かつては広大だった甲府城!

甲府城は武田氏の滅亡後、豊臣秀吉配下の大名によって築かれ、慶長5(1600)年ごろに完成したと言われています。

現在は本丸を中心とした一部が残っているだけですが、かつての甲府城の内城(内堀内側)は、平和通りやJRの線路の北側にまで達し、20ha(東京ドーム約4個分)ほどの広さがありました。また、城の一番外側の堀「三の堀」は今の地図に置き換えると、北は武田1丁目、南は若松町、東は金手駅、西は相川まであったようです。

明治6年の廃城令によって、甲府城は内城のみ残してほかは市街地化されることになり、甲府駅や県庁が建てられました。明治37年からは舞鶴城公園として市民に開放されています。

画像:大正~昭和初期の甲府城跡のお堀の風景。橋が架かっている付近は現在のスクランブル交差点周辺。奥に見える門は旧制甲府中学の校門(『写真集甲府物語』より)

 

甲府城地図

地図:3つの堀によって基本的に住む場所が分けられ、お城を中心に武士は内堀~二の堀の間に、商・職人などの町人は二~三の堀の間に住んでいました。「三の堀」内の区域は「甲府城下町遺跡」と呼ばれています。

画像:昭和5年に旧制甲府中学の跡地に完成した山梨県庁舎と城跡周辺(『写真集甲府物語』より)

城内に温泉があった!

「温泉楽屋曲輪(がくやくるわ)の御門前、水道に湧出つ。御城内なれば何病に應ずると云事は分明ならざれ共、眼病に効有といふ」(『裏見寒話』より)

古い文献によると甲府城には温泉が湧いていたようです(現在の県庁の庭あたり)。冷泉で脚気・眼病に効果があったと言われています。城内に温泉が湧いていたのは全国的にもとても珍しいそうですよ!

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