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更新日:2022年8月22日
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昭和5年、山梨電気鉄道が甲府-小笠原(南アルプス市)間19kmで運行を開始した単線1車両の路面電車。
市民の足として親しまれ、当時の人たちの間では、「ボロ電」と呼ばれていました。
その後、甲府-青柳(富士川町)間が全線開通し、20.3kmを55分ほどで結びました。
ボロ電は甲府駅を出発し、県民会館の交差点を南下、荒川橋を渡って現在の廃軌道を通っていましたが、甲府空襲の際、市中心部の架線が消失したため、上石田駅が始発駅になったこともありました。
画像:昭和34年、完成したばかりの県民会館ビル前を走るボロ電。(写真集「甲府物語」より)
終戦直後、バスや自動車が不足していたこともあり、利用客数が大きく増加したボロ電は、全盛期を迎えました。
また、昭和24年には、国鉄との連絡輸送が始まり、ボロ電は市民の足としてだけでなく、全国向けの小荷物の輸送機関としても活躍しました。
昭和37年、交通事情の変革に伴い、ボロ電の運行は廃止されましたが、運行ルートだった廃軌道は、現在、車道として利用されています。
画像:廃軌道沿いには道幅が広くなっている場所があり、かつて上石田駅があったことを思わせます。
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