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更新日:2022年8月22日
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湯村東部に位置する湯村山(標高446m)は、緑が丘スポーツ公園北西から遊歩道を行くと、約30分で頂上にたどり着くことができます。
中世戦国期、躑躅(つつじ)ヶ崎に居館を移した武田信虎が、甲斐国府中の統治を強固なものとするため、大永3(1523)年、湯村山の山頂にも山城を築きました。
この「湯村山城」は、甲府盆地一帯を見渡すのに適した立地を活かして、監視や情報収集といった役割を担い、緊急時の迅速な情報伝達を行うための烽火(のろし)台も設置されていました。
湯村山城の遺構は、現在あずまやがある山頂部分を中心に、東西約65m、南北約130mの範囲で見ることができます。
主に、山頂南側の一の郭(くるわ)(壁や堀などで仕切られた城内の区画)と二の郭で構成されていて、これらの北側にある堀切を挟んで、三の郭が配されています。山頂部分では、土塁や石積み、かつて使用されていた井戸など、当時の面影を垣間見ることができます。
湯村山には、古墳も複数存在します。これらは礫(れき)を積み上げて造られていることから「積石(つみいし)塚」と呼ばれています。
画像:山頂付近にある復元された烽火台
けむりを用いた情報伝達方法は、古代中国にそのルーツがあり、武田家は、躑躅ヶ崎館を中心に、主要幹線沿いに烽火台を整備したといわれています。
画像:一の郭で見ることができる井戸の跡
画像:遊歩道沿いから見られる湯村山1号墳
直径15m、高さ3m。
墳丘は一部が削られ、天井石が露出しています。
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