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更新日:2022年7月28日
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甲府とは「甲斐の府中」の略です。永正16年(1519)武田信虎が躑躅ヶ崎(現在の武田神社境内)に居館を移し、城下町をつくったときに名付けたといわれています。府中とは、国の政治・経済・文化の中心地という意味があります。「甲府」という名称が定着したのは、近世になってからのようです。
市制が施行されたのは、明治22年(1889)。当時、人口は3万1,128人で、総面積は7.97でした。その後、合併が4回あり、平成18年の中道町と上九一色村との合併は5回目。市制施行当時と比べると、人口は約6.5倍、面積は26倍以上となりました。
現在、市制施行記念日は10月17日となっていますが、実際に市制が施行されたのは7月1日でした。
どうして、2つあるのでしょうか?
7月1日に市制が施行されたものの、事務手続きや諸機関の整備などのため、市役所が開庁したのは10月になってからでした。また、7月は暑く農村は農繁期で、人出があまり期待できなかったことや、10月17日は戦前の祝祭日「神嘗祭(かんなめさい)」の日にあたり、日が良いということもあったようで、市制記念日としました。初の市制祭は、3日間にわたって盛大に行われたようです。
画像:市制施行当時の市庁舎の様子。明治7年、柳町(現在の法人会館がある所)に建てられ、当初は学校として使用されていました(写真集『甲府物語』より)
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