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更新日:2019年8月22日
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新撰組は慶応4(1868)年、鳥羽伏見の戦いで敗れた幕府軍とともに大阪から江戸へ入りました。
江戸へ入った新撰組は、当時、幕府直轄領であり、江戸城の西を守る要の城として重要視されていた甲府城を押さえるため、甲陽鎮撫隊と名を変え、甲府に向かいます。
しかし、部隊が勝沼辺りまで進出したとき、すでに甲府城は板垣退助率いる新政府軍に接収されていました。甲陽鎮撫隊の勝沼到着は、新政府軍の甲府城接収に遅れることわずか1日だったと言われています。
甲陽鎮撫隊と新政府軍は勝沼で激突しますが、兵の数で圧倒的に不利だった甲陽鎮撫隊はあっけなく敗れ、江戸に逃げ帰ります。その後、近藤は、京の時代からの同士である長倉・原田などの新撰組隊士と離別することから、この戦いは新撰組としての最後の戦いだと言われています。
もし、甲陽鎮撫隊の到着があと1日早ければ、甲府はもちろん、日本の歴史は少し変わっていたかも知れませんね。
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