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武田信玄国主となる。信玄堤を造る

1541年(天文10年)、武田信玄は21歳の若さで甲斐の国主となりました。信玄というと、上杉謙信(うえすぎけんしん)との川中島の合戦が有名ですが、政治家としても優れていました。

そのころの甲府盆地は、今の県立美術館あたりに釜無川(かまなしがわ)が流れ、御勅使川(みだいがわ)との合流地点(今のJR竜王駅付近)は、大雨が降るたびに水害にあっていました。

そこで信玄は、甲府盆地を水害から守るため、堤(つつみ)を築く工事を行いました。工事は、1560年(永禄3年)頃に、ほぼ完成したと言われています。この堤のおかげで水害がおきにくくなり、その後、「信玄堤」とよばれるようになりました。

また信玄は、商人や職人たちを集めて城下(じょうか)に住まわせ、城下町は南方まで大きく広がり、東国有数の都市に発展(はってん)しました。

この他にも、人びとの生活の安定にも力を入れていたため、信玄は人びとに慕(した)われていました。
そして現在も、武田信玄は甲府を代表する英雄として人気を集めています。

 

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~武田三代のまちづくり~

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