更新日:2019年8月19日

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甲府城の山手御門って何?

山手御門

山手御門とは、山手門(やまのてもん)(高さ約6m、幅約5m)と山手渡櫓門(やまのてわたりやぐらもん)(高さ約12m、幅約14m)のことを指し、甲府城にあった3つの出入口の中の1つです。
かつて人々は木橋と土橋で堀を渡り、城内に出入りしていました。また、山手門は城門として、山手渡櫓門は武器の倉庫としての役割も果たしていたと言われています。明治時代になると、市街地化が進み、山手御門周辺の石垣も崩され、堀は埋め立てられました。
平成10年の発掘調査で、石垣の一部が発見され、山手御門の復元を中心とした公園の整備が始まりました。門は発見された石垣を土台にし、当時の工法を用いて、「楽只堂年録(らくしどうねんろく)」※1に描かれていた姿に復元しています。

歴史公園は平成19年3月に完成し、市民の交流の場として一般開放されています。

※1楽只堂年録・・・宝永2(1705)年に甲府城の城主であった柳沢吉保が石垣の改修を行う際に描かれたもの。石垣の高さ、土塀の長さなどが詳細に書かれている。

画像:土壁の下地には竹を使用。

画像:歴史公園の場所と江戸時代中期の三つの門の位置

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