更新日:2022年8月22日
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連歌は、複数の人が「5・7・7」の片歌で問答する日本の文学の一つです。
その連歌は、甲府の酒折宮から始まったといわれています。
画像:酒折宮拝殿
『古事記』には、「倭建命(やまとたけるのみこと)(日本武尊)」が東征の帰路、酒折宮に立ち寄り、
新治(にいばり) 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる
(新治、筑波の地を通り過ぎて、ここまで幾晩寝たのか)
と問いかけたところ、かがり火を焚(た)いていた老人が、
かがなべて 夜には九夜 日には十日を
(日数を重ねて、夜では九夜、昼では十日ですよ)
と答えたと記されています。
「4・7・7」の片歌の問いかけに対し「5・7・7」の片歌で答える片歌問答になりました。
倭建命は、その老人の才能を誉めて「東国造(あずまのくにのみやつこ)」の称号を授けたそうです。
画像:酒折宮境内ある連歌発祥の由来となった連歌の碑
この片歌問答が連歌の起源、また、酒折宮が連歌発祥の地とされ、その後、酒折宮には山口素堂をはじめ、多くの文学者・学者が参拝するようになりました。
酒折連歌は「5・7・7(問い)」、「5・7・7(答え)」という形式で、後の短連歌や長連歌とは異なる形式になっています。
現在では、連歌の普及を目的に毎年行われる「酒折連歌賞」。
毎回全国からたくさんの応募があります。
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