更新日:2023年5月11日
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馬車鉄道とは、道路上に敷説された道路の上を馬が車を引いて走る鉄道です。
明治30年に創立した山梨馬車鉄道株式会社の路線は、甲府から東は勝沼(市内は城東通り、旧甲州街道を走る)、西は鰍沢(市内は太田町、千秋橋、国母を走る)へ至るものでした。
鰍沢までの路線は、京浜・関西方面へ行く富士川舟運との連絡もあり、大正8・9年には最盛期を迎えました。甲府から終点の鰍沢河岸までの片道23kmを約2時間かけて走り、運賃は大人片道60銭、子どもは30銭でした(ちなみに当時はかけ蕎麦が1杯1銭)。途中には、走り続ける馬を替えたり、休めたりする厩(きゅう)舎があり、市内には太田町と国母にありました。
その後、馬車鉄道を取り囲む環境の変化と貨客の減少により、昭和2年、市民に親しまれた馬車鉄道はその30年の歴史に幕を閉じました。
一蓮寺(太田町)の境内には、馬車鉄道で活躍し、激務のために倒れていった馬たちを供養する馬頭観音像があります。今でも馬の好物といわれるにんじんがお供えされています。
画像:馬頭観音像
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