更新日:2022年8月22日

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子守をしながら学校へ…「子守学校」

赤ん坊を背負った子守姿の児童が唱歌を歌ったり、体操をしたりしていた学校がかつて、甲府にありました。

明治5年の学制公布により、甲府にも小学校ができましたが、授業料が有料だったことや家計を助ける労働力として子どもの手が必要だったことなどから、就学率は必ずしも高いものではありませんでした。
特に、女子は住み込みで子守の仕事に従事することも多く、そのために学校に通うことができない場合もありました。

そこで、子守をしながらでも通学できるようにと、明治33年に開設されたのが「子守学校」でした。
この子守学校は、児童が子守をしながら放課後の教室で、読み・書き・算術・訓話・唱歌・体操などの授業を週2回受けるというもので、2年間の課程でした。当初は琢美教場(現在の琢美小学校)に設けられましたが、翌年、相生教場に移ったことから「相生子守学校」と呼ばれました。

相生子守学校は、その後歳月の経過とともに内容が充実し、県内外からの視察や新聞・雑誌の取材が相次ぐほどでした。
明治40年には市立の学校として認可されるとともに、新たに琢美教場にも開設され、昭和3年まで続きました。

相生子守学校の記念写真
画像:相生子守学校の記念写真(明治43年撮影)

子守学校の運営は、教師たちによる無償の奉仕と市民からの寄付によって支えられていました。
子守学校の卒業生からの寄付もあったそうです。

お問い合わせ

市長室情報発信課広報係

〒400-8585 甲府市丸の内一丁目18番1号(本庁舎5階)

電話番号:055-237-5314

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