開府500年コラム 地名の由来6~「羽黒・中村」~
2019年に迎える「こうふ開府500年」に向けて、市内の地名の由来や歴史を紹介しています。今回紹介するのは、市の北西部、西部に位置する羽黒・中村です。
地名の由来
【羽黒】
『甲斐国志』によると「羽」は土を意味する「埴」のことで、土壌が黒いことから。
【中村】
かつては長塚郷に属していたといわれ、郷※の中間に位置したことから。
※郷…かつての行政区画の単位。村の集合体としての意味もあった
どんなまち?
【羽黒】
- 湯村温泉通りがまちの中央を通る。
- 産土(うぶすな)神の大宮神社は、境内に大きな石が多く、神が降りる磐座(いわくら)と考えられる。ご神体である神社裏の天狗山(別名:羽黒山・荒木山・明峯山)は、山頂に「おてんぐさん古墳」と呼ばれる積石塚古墳があり、直径30m、高さ約6mで県内最大。
- 龍源寺は弘法大師(空海)と縁が深い。かつて雨乞いの際、弘法大師の石像を境内の池に沈めて祭りを行っていた。また、弘法大師が老婆に芋を欲しいと頼んだところ、食べることができない「石芋」だと嘘をついたら、本当に石になってしまったという逸話もある。

▲羽黒・千塚地区(昭和33年)
【中村】
- まちの南端は貢川、北境はJR中央線が走る。池田公園、光風寮などがある。
- 『甲斐国志』によると中村・金竹村・長松寺村・荒川村・長塚村は「北山五ヶ村」といわれ、古くは一つの郷だったとみられる。長塚(現:甲斐市)の名の由来である長塚古墳は中村にあったが消滅。五ヶ村の特産に青梨子(あおなし)が挙げられる。
- 昭和24年の合併で甲府市「中村町」になる。昭和52年、編入により県営貢川団地のエリアなど、まちの一部が荒川1・2丁目や池田1~3丁目、下河原町、新田町となり、現在の町域になった。
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